ハイジャックと沈没船のパラドックス

ちょっと前にある航空機のハイジャック事件をテレビで紹介していました。

細かいストーリーは割愛しますが、その航空機に乗り合わせた乗客たちは、ハイジャック犯が3人だけで(自分たちは15人と言っていた)、爆弾も偽物のように思えることから反撃しようと相談します。

しかし、なかなか話がまとまらないんですね。

テロリストたちが言っていることが本当だったらどうするとか、上手く行かなかったらどうするとか。

結局、手遅れになり、飛行機は強行着陸します。

そして、乗客と乗務員の大部分は死亡。

後知恵と言われればそれまでですが、やはり何らかの行動を起こすべきでしたね。

ところで、こうした状況を「沈没船のパラドックス」と呼びます。

船が沈むのが分かっているのに、海に飛び込む勇気が出ず、そのまま船と共に沈んでしまうわけです。

私が好きな北方謙三さんの小説「水滸伝」にもよく似た状況が出てきます。

国が危機的状況に陥っているのに、重臣たちは会議ばかりを重ね、具体的な対策を打ち出すことができません。

状況を軽く見ようとする意見が大勢を占め、当たり障りのないの結論しか出せず、結局国は滅びてしまいます。

実は、多数決は民主的な方法ではあっても危急の時にはあまり効果的ではありません。

危険を過小評価し、ドラスティックな意見は退けられ、中庸の意見しか取り上げられず、それで大抵の場合手遅れになります。

そういう時はカリスマ的な指導者が必要なんですね。

会社にしても、何かのグループにしても、重大かつ緊急の問題が発生した時には本当の統率力と決断力をを持つ人間に一任したほうが上手くいくでしょう。

それが沈没船のパラドックスを回避する唯一の方法かも知れません。

最近の日本では実行は難しいでしょうし、大変な弊害を伴う可能性もありますが。

では。