ボランティアの問題

2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、組織委員会がボランティア募集要項案を発表しました。

しかし、その内容が余りにもブラックなので批判の嵐に曝されているようです。

まず、ボランティアの人数は、11万人で、これは、12年のロンドン大会の7万人を大きく上回り、過去最大のものです。

そして、このボランティアへの応募条件というのが、2002年4月1日より前に生まれ、合計10日以上活動でき、指定するすべての研修に参加できることなんですね。

10日プラス研修という拘束時間だけでもなかなかですが、さらに、1日の仕事時間が8時間、食事は原則1日1回支給、交通手段や宿泊場所は各自の手配で、費用も自己負担。

「積極的に応募していただきたい方」としては、競技の基本的知識がある人、英語やその他言語のスキルを生かしたい人、スポーツボランティア経験をはじめとするボランティア経験がある人といったものが挙げられています。

そして、肝心の仕事の内容ですが、通常のボランティアが行なうような会場での道案内やチケット確認作業に加えて、空港や会場での海外要人の接遇、関係者が会場間を移動する際の車の運転、選手がメディアからインタビューを受ける際の外国語でのコミュニケーションの補助、ドーピング検査のサポート、大会を記録するための写真や動画の編集サポートといったものが含まれています。

これはとても、タダ働き人員で補うレベルの仕事ではなく、プロの通訳やドライバーを雇って割り振るべき仕事でしょう。

さらに、競技会場外での道案内などの仕事で中学生・高校生向けの募集枠を設ける方針であり、これは「教育的価値が高く、スポーツボランティアの裾野を広げる観点から有意義な取り組みだ」そうですが、運用次第では内申点や推薦を人質にした半強制のものとなる可能性もあります。

要するに「オリンピックのため」というお題目のもとに、自己犠牲と滅私奉公を当たり前とし、一方で膨大な費用を無駄遣いしているわけです。

そして、残念なことに、こうした行政側の考え方は決して今回に限ったことではないのです。

長くなるので続きは明日。

では。