「ギロチンと蝋人形館」(続き)

昨日の続きです。

ついでに言えば、名前の由来になったギヨタン氏もギロチンで処刑されています。

いわゆる因果は巡るというやつですね。

それから、フランスでは、ギロチンは死刑制度が廃止される1981年9月まで使われ続けました。

つい最近までと言ってもいいでしょう。

ところで、フランス革命の時には、ギロチンで切った首をさらしものにしていました。

ところが、首は「なまもの」ですからそんなに長持ちはしない。

それで代わりに蝋人形をさらしていたのですが、そんなに簡単に作れるわけではありません。

困っていたところに、偶然、当時の投獄者の中にこの蝋人形作りの上手い女性がいました。

彼女はマリー・グロショルツ(マダム・タッソーは後年の愛称)といい、革命政府のために蝋人形を作る代わりに命を助けられます。

ギロチンを辛くも逃れたわけです。

首を切る前の断髪までされていたそうですから、本当にぎりぎりだったんですね。

その後、彼女は隣国のイギリスに渡り、評判を得て、ロンドンに蝋人形館の常設館を設立します。

これが有名なマダム・タッソーの蝋人形館の元になりました。

彼女はマリー・アントワネットの生首を持ち帰って、デスマスクを作っています。

まさに芸は身を助けたということでしょう(ありきたりでおざなりな結論)。

では。