文明と伝統(続き)

昨日の続きです。

しかし、文明を謳歌している人間にそんなことを言う権利があるのでしょうか。

自分たちは便利な生活をしておいて、そうした生活をしていない人達に、あなた達は未開のままでいてください。

それが人間らしい生活なのですからなどと。

文明的生活を批判する人たちは、もし本当にそう思うのならば、他人に無責任なことを言う前に自分達が率先して文明抜きで暮らせばいいでしょう。

実際に、敢然と進歩を拒否して生きている人達もいるのですから。

たとえば、かなり昔の映画「刑事ジョン・ブック/目撃者」(ハリソン・フォード主演)で有名になったアーミッシュが上げられます。

彼らは厳格なキリスト教徒で、完全平和主義者であり、そして農民で、今でも電気も水道も自動車もない生活をしています。

より正確に言うと、まったく使用しないわけではなく、例外があるらしいのですが。

また、ミャンマーのように伝統と近代文明を上手く共存させている国も多くはないにしても存在しています。

ただ、一般的に言って、人間は一度文明を知るとなかなか後戻りはできないようです。

上に書いたタイの村でもある程度の文明は受け入れており、村人はビールを飲むようになっていました。

イヌイット(昔はエスキモーと呼ばれていました)やネイティブアメリカン(同じくインディアンと呼ばれていました)にも伝統的生活を守ろうとする動きがあり、アフリカの部族にしても同じです。

しかし、やはり文明の波から完全にのがれることはできず、飲み込まれてしまっているところもあるように見えます。

いずれにしても文明を受け入れるかどうかは、その国、その部族の人々が自分達で決めるべき問題です。

少なくとも文明を享受している人間が外からどうこう言うことではないではないでしょうか。

では。