昨日と題名が若干違いますが、一応続きです。
昨日の文章を書きながら坂口安吾を思い出しました。
坂口安吾は戦後の一時期に一世を風靡した作家で、多くの小説や随筆を残しています。
しかし、今ではその作品が読まれることはほとんどないでしょう。
私は安吾が好きで、高校時代に特にその随筆(「堕落論」が最も有名)を読みました。
その彼の随筆の中に昨日のテーマに近い文章があります。
戦後ほどない頃、戦争に敗れた日本が欧米化に躍起になっている姿を見て、ブルーノ・タウト(ドイツの建築家で日本文化の理解者として知られている)やジャン・コクトオ(フランスの詩人)は「日本人はどうして和服を着ないのだろう」や「欧米化に汲々たる有り様」と批判しました。
これに対して安吾はこう言っています。
「すなわち、タウトは日本を発見しなければならなかったが、我々は日本を発見するまでもなく、現に日本人なのだ。
我々は古代文化を見失っているかも知れぬが、日本を見失うはずがない。
日本精神とはなんぞや、そういうことを我々自身が論じる必要はないのである。
・・・伝統の美だと日本本来の姿などというものよりも、より便利な生活が必要なのである。
京都の寺は奈良の仏像が全滅しても困らないが、電車がなくては困るのだ。我々に大切なのは『生活の必要』だけで、古代文化が全滅しても、生活は滅びず、生活自体が滅びない限り、我々の独自性は健康なのである。
古いもの、退屈なものは、亡びるか、生まれ変わるのが当然だ。
見給え、空には飛行機が飛び、海には鉄鋼が走り、高架線を電車が轟々と駆けて行く。
我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の伝統も健康だ。」(日本文化私観)
伝統への安住を拒否し、現実を深く生きるとの思想であり、伝統、文化を守れという頑迷な保守的主張に対する反論です。
対象は異なるものの、私の昨日の意見は安吾の考えに非常に近いと思います。
と云うより、私は多分精神的基盤の大きな部分を彼に負っているのでしょう。
私は京都出身ですが、京都は日本人の心の故郷である、だから変わってはならないと云った意見に対しては同じような感想を抱いていました。
パリと京都はその規模や人口、歴史的重要性などからよく比較されます。
しかし、最も大きな違いは、パリが今でも政治、経済、文化の中心であり、活気に溢れていることです。
それに対して、京都は自ら選んで観光の町となり、その伝統にすがって生き延びています。
そしてそのために都市としての未来はないと思います。
京都に住んでいる人は怒るかもしれませんが、これが私の正直な考えです。
では。
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