ペットの話(5)

続きです。

食べることができるか、できないかは、その動物に名前を付けることが大きな分かれ目になるのではないでしょうか。

豚や牛などは食肉用に飼育していると名前なんか付けないでしょう。

しかし、ペットとして飼う場合には、ほとんどの場合、名前を付けます。

それによって愛着が湧き、家族の一員のように感じるわけです。

そうなると普通は食べる気にはなりません。

昨日書いた「食堂かたつむり」の女性主人公は手塩にかけて面倒を見たにも関わらず、ペットの豚を食べてしまいますが。

ひょっとしたら日本人のような農耕民族と西洋人のような狩猟民族では感じ方が違うのかも知れません。

ただ、かなり昔に見た映画「ジャイアンツ」(1956年公開、ジェームス・ディーンの遺作となったことでも有名です)の中で、主人公の子供が一家で飼っていた七面鳥(たしか名前が付けられていました)がクリスマスにローストされて食卓に出されたのを見て泣きだすシーンがありました。

肉食人種であるアメリカにも気が弱い人がいるようです。

彼は父親から腰抜け扱いされていましたが。

何度も言うようですが、私は動物は動物、人間は人間、食用動物は食用動物といったスタンスを常に維持するべきだと考えています。

さもないと、一部の人たちのように動物を人間よりも大切にするようになる恐れがあります。

特に、最近のクジラ保護団体の姿勢は一種の宗教的な匂いさえありますから(インド人にとっての牛のような)、注意が必要ですね。

では。