昨日の続きです。
昨日書き忘れましたが、タイムマシンで時間を遡っても過去を改変できないのは有名なタイムパラドックスのためです。
ただ、タイムパラドックスについて説明するは大変ですので、興味がある方は自分で調べてください。
ところで、フランケンシュタインでもタイムマシンでも、主人公は愛する人をなくし、それが受け入れられずに、科学の力でなんとかしようとします。
生命を作り出そうとしたり、歴史に干渉しようとしたり。
そして、こういう場合に必ず出てくるのが、倫理の問題、というか神に対する罪の意識の問題です。
生命にかかわることは神の所業であって、人がかかわるべきではないとの主張ですね。
最近のDNA関係の研究、特にクローン技術に関してこうしたことがよく言われます。
しかし、こうした論理は私にはよくわかりません。
キリスト教徒と日本人とでは死生観が違いますし、特に神に対する罪の意識がまったくかけ離れています。
とすれば、神うんぬんはキリスト教徒以外には通用しない論理でしょう。
そして、どんなに言ったところで、必ずそれを破る人間が出てきます。
実際にある有名な宗教団体がクローンベビーを作り出すことに成功したと発表し、話題になったことがあります。
私には生命の創造が神のみに許される所業であるとの教えは、人の生命に対する未練をさとすために言われていることのような気がします。
しかし、科学とはそうした宗教にとらわれるべきではないのではないでしょうか。
生命の創造にしても人の手が届くのであれば、それは人が行うべきものであるはずです。
神がいるとしても、神はもっと人智の及ばないようなものを統べているのだと思います。
今までながながと書きましたが結局これが言いたかったんですね (回りくどいなあ !)。
ちょっと論理的に破綻しているかも知れませんが、これはあまりにも深いテーマですので、ご容赦ください。
では。
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