ニンビイな人たち(2)

昨日の続きです。

私が「ニンビイ」という言葉を最初に目にしたのは反原発に関する文章を読んだときです。

筆者はこれをちょっと違うニュアンスで使っていて、自分の家の裏庭に置けないようなものはそもそも建設すべきでないと主張していました。

これは明らかにおかしいですね。

原発がどうかは別にして、世の中には人々から嫌われても建設しなければならない施設が沢山あります。

それらをすべて排除すると社会が成り立ちません。

ただし、昨日も書いたように、「ニンビイ」とは通常、いわゆる「迷惑施設」(恥ずかしい呼び方ですね)も、自分の家の近くでなければ、建設してほしいし、自分たちも利用するといった住民エゴを指します。

こうした人たちは嫌なことは自分以外の誰かが引き受ければ良いと思っています。

しかし、少し考えればわかることですが、その誰かは自分でもありえるんです。

住民エゴというと、空港や高速道路の建設の問題もあります。

どうも、日本では個人の意志を必要以上に考慮するところがあり、土地買収に非常に時間と費用がかかることが多いようです。

これがフランスだったら、土地所有者はまず拒否することはできません。

共益性がなによりも優先され、土地は強制収用されます。

そのためいわゆるゴネ得もありません。

住民が行政裁判に訴えるという手段もないことはないんですが、政府を相手に勝つことなどまずないでしょう。

個人の権利を尊重することはもちろん重要ですが、共益性も大切です。

その間のバランスをどう取るかが今後の課題だと思います。

なにもせず、ニンビイな人々の増殖を放置しておくと日本の社会全体が停滞してしまうでしょう。

もう少し続きます。

では。