自国語への矜持

以前、文化庁が国語に関する世論調査を実施したことがあります。

「檄を飛ばす」や「姑息な」といったいわゆる難しい言葉の理解度から、「何気に」(何気なく)や「すごい早い」(すごく早い)といった新しい表現について等、最近の日本語事情に関する調査です。

こういう調査があると決まって出てくるのが最近の若者の言葉使いは云々といった批判ですが、こんなのは耳にタコができているでしょうから、いいとして、私にはもっと気になる問題があります。

日本語が柔らかい構造を持つ言語であることは、いまさら言うまでもないでしょう。

多くの外国語を取り入れつつ、日本語自体も様々に変化してきました。

外来語の氾濫を嘆く声は昔からあります。

しかし、環境の激変に対応できるような言葉が日本語になければ、英語でもなんでも使うしかないでしょう。

また、最近の若者の曖昧語やスラング(というのかな)についても言葉にはいろいろな面があって、それなりに存在する理由があると思います。

ですから、私はこうした傾向に異議を唱えるつもりはありません。

しかし、どうにも理解できないのは、日本人が自国語に誇りを持たないことです。

いくらでも例を上げることができますが、一番わかり易い例で言えば、日本アカデミー賞ですね。

アカデミー賞は言うまでもなく米国最高の映画賞ですが、日本で最も権威があるとされている映画賞(本当の意味での権威はないとの噂もありますが)の名前が借りものとはどういうわけなんでしょう。

なぜ日本語でふさわしい名前を考えることができないのでしょうか。

明日に続きます。

では。