無駄は排除すべきか

少し前にノーベル医学生理学賞を受賞した東京工業大の大隅良典栄誉教授が以下のようなことを言っています。

「今、科学が役に立つというのが数年後に企業化できることと同義語になっているのは問題。

役に立つという言葉がとっても社会を駄目にしている。

実際、役に立つのは十年後、百年後かもしれない」と語っています。

この発言を聞いて、思い出されるのは、例の「仕分け」ですね。

その後、民進党の党首になった蓮舫さんがとにかく無駄を排除しようと躍起になっていました。

「一番じゃないと駄目なんですか」が有名ですが、一番を目指すことが重要であることは言うまでもないでしょう。

それはいいとして、こうした無駄を排除しようとする姿勢のために、今後、日本はノーベル賞を取れなくなる恐れがあると言われています。

最近はそうでもないですが、少し前に京大出身者のノーベル賞受賞が続いた時に東大はすぐ役に立つ研究しかしないが、京大では無駄な研究を自由にやらせるからだと言われていたことがあります。

本当かどうかは定かではありませんが。

ただし、注意しなければいけいないことは、無駄な研究の99%以上が本当に無駄であることです。

結局、何の役にも立たない。

当然莫大な研究費は意味がなかったことになります。

当たり前のことを言うようで申し訳ありませんが、バランスが大事なんですね。

では。