チベットの聖者ミラレパ (その2)

27431.jpgはいーもう昨日になりましたが、まだ運動不足、ということで、今回は旗の台にある旗ヶ丘八幡神社を目指してエッサ、ホイサって…、もう言う人は2000年過ぎた現代あまりいないですが(^^;)軽くジョギングして行きましたね。

ここの神社はこないだの「その歴」でも放映されていた頼朝さんにもめちゃご縁があるということでしたね。まったく40人から初めて20万人ということで、さすが源氏さんという感じですが、だいぶご先祖様も頼朝さんを応援していた感じですよねぇ。

それがやはり将軍になっちゃうと奢ってしまってということで、おごる源氏もひさしからずや〜という感じになったわけですね。私も修善寺に住んでおりましたが、大分あそこにもいろいろな方が幽閉された歴史もあって、実は住んでいるときもいろいろーだったりしましたねー。(-人-合掌)

あの天才的な義経さんも川越出身のお嬢さん「京姫」(河越太郎重頼の娘)さんと結婚したわけですから、一応川越出身のわたくしとしましても大分鼻が高い感じもしますが(^^;)、それを討っちゃった頼朝さんにはなかなか共感しかねるものもあったりしちゃったりしますよねー、まぁこれも時代の流れ、という感じでしょうか?だから頼朝さん亡きあとはしっかり者の政子さんが出てきて助かった部分もあるわけですよね。

で、北条政子さんというと、わたくしから見ると大分古いですが、大河ドラマ「草燃える」の岩下志麻さんが思い出されて、小学生ながら凛々しい尼将軍に題名のごとくあの頃から「もえ〜」ていたようなのですが(^^;)、石坂浩二さんの頼朝さんも性格いやらしい感じでよかったですよね(^^;失礼)。

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あーさて、続きますが、このミラレパさんの最期は、伝記を読んでいただければわかりますが、ソクラテスのようにというかイエス・キリストのようにというか、自分でちゃんとちゃんと自分の最期を選んでなくなっているのですね。そして自分が苦行をすることによって、人の障害も取り除くということおっしゃってますね。

で、どうしてそうやって自分が苦しむことによって人の苦しみを引き受けることができるか?というと、やはりこの地球、宇宙はひとつで、他者も自分の一部、お互いに見えない絆で繋がっているわけですね、それは見えなくてもオーラのようなエネルギーは通っているのだと思うのです。

ですから、痛みを分かち合うことができる…ひとりでは乗り切れないような困難も、みんなで分かち合えば乗り切れるというのは、そのような苦しいエネルギーがちゃんと分配されて浄化されやすくなる、ということでのあるのかなーと思うのです。

それはまるで親が家族のために一生懸命働くような感じで、そのようなことを通してボランティア精神というか、他者という自分を助けることで慈悲慈愛を学べる仕組みになっている、それがこの人間社会を作った理由なのかなーと思いますよね(^^)。

ですから母の日なども、元々はアメリカ発祥のようで父の日が後になってできたというのもなんだか面白いですが(^^;)、今日のオーラの泉でも少し触れていたように母親、主婦というのは大変ですよねー、献身的で偉いと思います。ですのでまた大切な日にしたいですよね(^^)。

…と言っている私ですが、もうどうして私はこう自分の事しか考えていないのか?というくらい本当にプレゼントが苦手で、お祝いや記念日と言うと何を送ったらよいのかとか細かく考えすぎて迷いに迷って結局何も送らない、ということをずっと繰り返していたので、

さきほどやっとネットから実家とおばあちゃんのところにお花贈る手続きをしたんですが、もう当日には届かなということで情けない感じですね(^^;)、まぁでも物より気持ちですよねー。


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で、ミラレパさんも実は最初はお母さんに頼まれてブラックマヨネーズ、ではなくてブラックマジックをを学んだんだのですよね、だから肌がぼつぼつになって頭もハゲてきた…?、という関西芸人ネタはさておいて(^^;)、

もともと親孝行の気持ちからーというとそうかもしれませんが、倫理的にはちょっとでしたよね、ですからやはり親御さんから学んだことでも、よく咀嚼して考えてから行動にうつす、というのは必要ですよねー。

だからオーラの泉なども美輪さん江原さんが親代わりにいろいろ教えてくれる番組という感じですよね。私も年配の方を鑑定するときに苦労するのが如何にスピリチュアルなことをやわらかくわかりやすく伝えるかーということですものねー、江原さんのようにズバリ毎回視えるとホント楽だろうななぁとは思いますが、あぁなるには前世含め多大な努力と苦行もあったと思うので、あまりうらやましがらないようにしたいものですねー(自分に還って来るので(^^;))。

で、まぁでもミラレパさんもいろいろな苦難を乗り越えた挙句、千里眼的なこととか超人的な能力を身につけたということのようです。でもどちらかというと、どなたでも持っている能力を取り戻した、と言うことなのかもしれませんね?

なぜに私がそう思うか?というと、こちらのページにもあるように、ミラレパさんの詩を見るとわかるわけですね。少し引用させていただきますと…、

いざすすめ、狩人よ
たとえ雷鳴が轟いても
その音は空(くう)

色とりどりの虹も
たちどころに色褪せる

この世の快楽は夢のごときものなのに
一時の享楽に酔い、罪をつくる

恒常にみえるものも
たちまちのうちに崩れ、四散する

昨日、この手が満たされても
今日はすべて失われ、何一つ残らない

というように、無常を理解すると、無欲になり、そうすると下手な考え事もなくなり、そうするとモヤモヤーとしたエネルギーも自分で作り出さなくなり、オーラも研ぎ澄まされてくると。

そうしていくと、どんどんちゃんとガイドさんのインスピレーションも入ってきて、物事に対して常に冷静な判断が下せるようになる、さらにはあらゆるところに満ちているエネルギーの変化もおのずと感じられるようになる、だから遠くのものも見える(感じ取れる)ようになるのだと、思うのですね。

ですから、超人になるには何か難しいことを記憶すると言うことではなく、余計な考えを排除して、また全体と一つになる、世界が自分自身であったことを思い出す、ということなのではないかなーと思うのですね。

で、まぁそれはでも理性的な考えをも思考停止してしまうのではなくて、ちゃんとそれらも働かせながら、全体も見る、木も見て森も見る、と言う状態をコントロールできるようになると言うことなのではないかと思うのです。

まぁなかなかそんなこといっても難しいので、長ーい修養期間が必要なわけですね。インスピレーションと言っても、それは憑依的なものだったりして、たとえばよく宗教霊って言って、スピリチュアルなことばかり考えていると、昔に修行して行き倒れになったお坊さんとかが引き寄せられて憑いちゃって、

ヒーリングとかできるようになったりしてちょっと能力発揮するんだけれども、あとあと銭ゲバになっちゃったり、それが男性だと女性信者ばかり集めてハーレムつくったり…なんて去年あたり事件ありましたけれども(^^;)、まぁそういう感じで結局物質的なものにとらわれてしまう、操られてしまうので、なかなかスピリチュアルというか、見えないものを扱う仕事の人って、精神的によほどしっかりしていないと堕落しちゃうようなんですよねー、ホント私も気をつけないとですが…(^^;)、

でも今は美輪さん江原さんのように本物の方が毎週テレビに出ちゃっているので、本当にありがたいナァと思いますよねー、そしてそこでもやはり物質的価値観からの脱却を説いてくれているので、目の前の困難も実は心の栄養になる、と言うことも毎週言い聞かされるわけで、本当に助かりますねぇ(^人^感謝)。

で、結局そうやって世の中透けて見えちゃう、わかる人ほどこの世の無常さ加減を説くわけですね。オーラの泉も「きっとわからないだろう」っていろいろなことをやっている人に対しての警告なのかなーと思いますが、この番組もあのオウム事件がある前にではなくて、その後大分経ってからやっとでてきた、と言うのも面白いなぁと思いますね。

江原さん自体は20年以上前から活動しているわけですし、皆さんどこかで見てご存知のとおり10年前あたりにもメジャーなミュージシャンのカウンセリングをテレビでなさって一部評判になっていたりしたわけなのですが、2000年越えてからこう定着してきたというのは、やはり時代が追いついてきたと言うか、それともいよいよ危機的になってきたらこりゃなんとかせなーということで出てきた、ということの、両方の意味合いがある感じも致しますね。

それで、この本の訳者である中沢新一さんですが、チベット密教の研究者だったので最初は同じ理論を取り上げているようにみえるオウムさんにある意味騙されていた感じで同意していたわけだったので、事件があってからはパッタリ姿をみせなくなってどうもかわいそうな感じもしていたのですが、

こちらにあるようにほぼ十年たってあぁやっと復活して来てくれたのだなぁと感慨深い感じでしたねぇ〜、去年なども公共放送で民俗学のこともお話していましたし、爆笑問題の番組にもでていたようですねー。

で、そのメカ沢さん…ではなくて、中沢教授が解説を書いてくれているので引用させていただきますと、チベットのお坊さんもいろいろな事情があるのがわかりますね。

…しかし、彼にはレチュンパやガンポパのような、何人もの優れた弟子ができた。マルパとミラレパの物語も、じつに人間的だったが、ミラレパの弟子たちも、それに劣らず人間的な人々だ。

ミラレパがもっとも愛した弟子レチュンパは、優れた成就を実現したレパ(修行僧)のひとりだけれど、時には美人との恋愛に夢中になって、ミラレパを心配させたこともあるし、

戒律に堅固なガンポパの出家の動機はと言えば、最愛の妻が早死にするが、その死の床での彼女の、

「私が死んだ後、他の女性と仲良くなったりしないで。だから、私が死んだら、出家僧になって、仏教の修行に励む、と誓ってちょうだい」

という願いを聞き入れてことに始まっている。

…と、いうことですが、ええ、男性として生きているといろいろ共感できると申しますか〜、ですよね。ここはきっとチベットの近くにあるマサラ王国の妄想族なヨギータさんもきっと共感するだから〜でしょう(^^;)。そしてつづきます、

チベット人は、スーパーマンを好まないのだ。はじめはみんな普通の人間で、その普通の人間が修行にはげむことによって、ついには人間の限界を突破することも可能になる。真理の光は普通の人間の内部から輝きだすのだ、というのが、彼らの考えだ。

ミラレパも、彼のことをむやみに崇拝する人々に対して、そういう盲目的な崇拝はやめてくれ、私は全く普通の人間として出発したのだし、それどころか、この道に入ったはじめには、とてつもない悪のカルマを集積した、普通以下の人間だったのだ、と強調している。

…仏教の教えは、人間をあらゆるものから自由にするために、説かれたものなのだ。国家からも、社会からも、家族からも、いや自分と言うものを作り上げている一切のものから自由になり、自由になった目で、もういちど世界に慈悲の心を向けていくのだ。

ミラレパはそのように生き抜いてみせた。彼はすばらしい人生を歩んだのだ。こうして、ミラレパの生き方そのものが、チベットの全ての修行者の理想となったのである。

…というわけで、チベットの山奥でなくても、物にあふれているこの国にいても、心の平和を取り戻す修行はできるのだなぁ、それを学びに来ているのだろうなぁ、と勇気付けられた本でしたよねー(^^)。

で、実はこの間のチベットフェスでも、結構な人数のラマ僧さんがいらしていましたから、ためしに一人一人オーラ見ていくと、ふーむなかなか頑固な人もいたし、若いのにものすごく輝いている方もいたし、ということで、さまざまなのだなぁ〜というのは自分なりに納得しましたねー、人間できているから欲を絶つ修行ができるのではなくて、やはりその途中の方々もいるのだと…。

でもやはりさすがにチャド・リンポチェさんはとても明るくて、さすが活仏さんだなぁと思いましたね。台湾では歌う活仏さんもいらっしゃるということで、時代も変わってきた感じですが、まぁ明日も歌うスピリチュアルカウンセラーさんの公演、楽しみです(^-^)。