感性論哲学者である芳村思風氏は、
その著「人間の挌」の中で人間と神との関係、
また、人間の条件とは何か、哲学者の立場から論じている。
彼は神と人間を論じる手法として神と人間を比較している。
彼が問題にしたのは神の存在である。
学問的にはドイツの哲学者イマニエル・カントの説で落ち着いていて、
神の存在については「わからない」
というのが哲学的な答えだそうです。
学問は整合性を求めるので、わからない神と人間を比較することはできない。
そこで彼は神という言葉が有るという事実に着目します。
人間はどんな未開民族でも神という言葉を持っているそうです。
そして言葉が存在するということは、
神を意識しているという事実の証明になる。と考えました。
太古の昔、地震や火山の爆発等に人類は脅えました。
目には見えないけど、人間よりももっとすごい力のあるやつがいて、
地震や爆発を起こしていると原始人類は考えたのです。
そして、その目には見えないけど、絶大な力を持つ存在を神と呼びました。
そのお陰で人類は「神がいる。いない。」に関係なく、神は存在すると考えることができた。
彼はこの「考えることができた」その事が大事だと言っています。
目に見えるものだけで無く、その背後に有る目に見えない世界を類察する思考パターンが、
人類を発展させたといいます。
目には見えないけど、すごい力をもった奴がいて、彼らが住んでいる世界は、
人間の世界より素晴らしい世界に違いない。
人類はそう考え目に見えない世界を想像し形にしてきました。
だから人類の発展には目には見えない神という完全な存在が必要だった。
それに人間の能力には限界があります。
限界が有るという点で人間は神ではない。
神で無いから完全ではない。
完全で無いから不完全である。
この不完全だという意識が、人類の歴史を創り発展させてきた。
故に人間にとって神は必要な存在だったと結論づけています。
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