似非霊能者がよく使う言葉に「業」がある。

私はこの「業」という言葉が嫌いです。

訳の分からない法衣を着て

「今世は前世で犯した業の解消にある。」

なんてもっともらしい口調でいう。

「お前に何がみえるんじゃい」と言いたくなる。

私共を信仰するとガンが治った。とか平気でいう新興宗教もある。

おたくの教祖ガンで死んだでしょ。

何故怒りに満ちたことを書くかというと、

霊感と感性を同じものと思っている

輩が多いように感じるからである。

「ひらめき」を霊感と辞書にはあるが、「感性」は違う。

しかし、「ひらめき」を天の声と断定できる人は少ない。

話を「業」に戻そう。

世間では「あの人は業が深い」とか「自業自得だ」とか

「業」という言葉を悪いことのように使います。     

しかし「業」とはサンスクリット語のカルマンの訳で

「行為」という意味。

行った行為は必ず何かの結果を作る。

悪いことをすれば悪い結果をつくり、

善いことをすれば善い結果をつくる。

善行善果、悪行悪果。

その行為にふさわしい結果、これが「自業自得」です。

でも貧しい国や戦争をしている国に生まれ苦しんでいる。

それも「自業自得なのか?」との質問がくる。

その矛盾を解消する為に輪廻思想と結びついた

「前世の業」という言い方が有る。

この問題は長くなるので、この程度にします。