●自分を知る

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? 平和と戦争を考える時期ですね。
 生きていれば... 私にとって祖母(父の母)と叔父(母の兄)に
なるはずの身内が原爆で亡くなっていて、
広島出身で被爆2世(両親が被爆認定者)でもある 煌龍 剛 です。
8月6日は命日にあたり、今年もAM8:15に黙とうをしました。


 さて... 多くの人が「自分」を知りません。
自分のことは、自分が一番よく知っているはずですが、
ほとんどの人は、知っているように思い込んでいるだけです。
 というか、「自分を知る」ということが、
どのようなことなのか、どういった意義があるのか、
どうすれば自分を知ることができるのかなどが漠然としていて、
深く考察することないまま過ごしている人が多いでしょう。

 「自分を知る」というのは、この世に生まれてきた理由や、
生きる理由として挙げられるくらい人生の重要なテーマです。
しばしば出会う「何をしたいのかわからない」という人は、
ある意味、自分を知らない典型と考えられます。

 究極で絶対的な自分は、元々ないかもしれないし、
常に変化し続けている自分もあれば、変わらない自分もありますが、
周囲の人や目先の出来事に一喜一憂するだけの毎日ではなく、
真剣に自分を知るための努力に取り組みたいものです。

 自分を知るための手掛かりやヒントは、占いもその一つですが、
それだけではせいぜい全体の10%未満程度でしょう。

 科学的に、肉体がどのように構成しているのか?
細胞はどんな活動をしているのか? 遺伝子は? DNAは?
人類がどうやって進化し、どんな歴史なのか...
 哲学や宗教学的に、人間はどんな存在なのか?
人生にはどんな意味や意義があるのか? 幸せとは...
 心理学的に、心はどのように機能し、
どうやって感情を生み出しているのか? 好き嫌いとは...
 これらは「自分」に大きく関係することでありながら、
ほとんど知らないままでも普通に生きていけるため、
一般常識レベルの知識さえ有していない人が大半です。

 そんな知識より、私の悩みは? 恋愛はどうなるの?
仕事は?... 目先の問題で頭がいっぱいなのはわかります。

 しかし、実は、目先の問題の最大の原因や理由は、
自分を知らないことにあるかもしれません。
 自分を知らないからこそ、知ろうとしてこなかったからこそ、
自分を知る意義を考えなかったから、その方法を知らない、
知ったような気になっているだけ... だから、
今の問題、過去の問題、未来の問題が起こっているのです。

 では、どうすれば自分をしることができるのでしょう?
その手段や方法は自分で探すことが肝心ですが、
重要なヒントとして'教養'を挙げておきます。


 ご覧いただきありがとうございます。
暑さに注意しつつ、二度と戻らない今年の夏を満喫しましょう。

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? 台風が過ぎた後も暑く高湿度ですね。
 最近は、半袖(衿あり)シャツと短パン・スニーカーといった
かなりカジュアルなスタイルで仕事をしている 煌龍 剛 です。
Tシャツではないし、サンダルではありませんが、
首にタオルでもまけば「海の家の人」みたいな格好です。
お客様のホステスさんから「ここは『北新地』やで」と言われました。


 さて... 今回は、大人になればなるほど、生きていれば嫌でも、
誰もが実感する、避けようのない「老い」について、
心理学や占術などの視点を絡めて語りたいと思います。
 皆に等しく訪れる「老い」を考察することで、
幸せや問題解決へのヒントがご提供できれば幸いです。

 皆様は「老い」に対してどんなイメージがありますか。
そう訊かれて、内向きに自分の「老い」や「老化」を思考する人と、
外向きに誰か、ときにはペットを対象に思考する人もいらっしゃるでしょう。
 前者の内向きな自分に対する自己評価的な「老い」の感覚を
心理学では'主観的老い'と表したりします。
各個人の幸せを考えるうえで重要で相関があるととされる
自分(自己)に対する評価、受容や肯定感などと、
'主観的な老い'関係について、これまで多くの研究が行われています。

 こうした'主観的老い'に関して、日本心理学会 編集,
『心理学ワールド(82号)』,P9-12,新曜社、2018年7月,に
興味深い研究論文が掲載されていたので紹介したいと思います。
 屋沢 萌,「老い」をどのように捉えるか
-主観的老い研究における心理学的知見,によると...
 主観的老いを調べる手法としては、実際の年齢にかかわらず、
どの年齢に自分が属するかについて、インタビューや質問紙などで尋ね、
自分自身を「実年齢より若い」「同じくらい」もしくは「老けている」
といった程度を回答させるものが一般的である。 中略
 その結果、25歳までの参加者は、「自分は老けていると感じている」
もしくはどちらでも感じでいないという人が比較的多かった。
一方40歳以降は、自分が若いと感じている人の割合が多いことが示された。
40歳(中年期)以降は、自分の実年齢より20%程度若い年齢を回答...

 こうした傾向(自分は若い)は、高齢者になるほど増加するようです。
要するに、自分の老化を実感しない世代は、自分は老けたと思い、
現実として老化現象を実感する世代ほど、自分は若いと思っています。
 中年は「自分は同世代平均よりは若い」と捉えている人が多く、
高齢になればさらに増すというのは、なんだか微笑ましい現象ですね。
自問自答すると、私も自分が老けていると捉えていないことに気づきました。

 このような'主観的老い'は、幸せや心の健康に影響する要素ですが、
占術では、意外なほどノーマークに近いのではないでしょうか。
 たとえば市販されているタロットカードの解説本では、
老いに纏わる解釈はほとんど見当たりません。(自己調べ15冊)
 ただ、実際のところ「相手が私をどう思っていますか」の依頼で、
「年長者」や「年上」くらいのキーワードは使うことが可能だとしても、
一般的に「老けている」とか「老い」や「老化」などはタブーでしょう。
 前述の心理学研究の通り、多くの人が自分を若く捉えている中で、
恋愛が好ましく発展しない理由として、相手の気持ちに
オッサンだから、オバサンだから... が大きくあったとしても、
良い悪いとは異なる次元で、占師が示す言葉ではないように思います。
そんな意味もあって、タロットカードの解説本では、
使えないキーワードとして掲載していないのかもしれません。
 一般的な大アルカナ「9 隠者」は、老人ぽい人物が描かれてますが、
正逆の向きに関わらず、ネガティブで現実的な「老い」の意味は見当たりません。

 しかしながら、かなり残酷かもしれませんが、
現実として「老い」や「老化」に恋愛的魅力を覚える人は稀有でしょう。
若さが魅力であることは事実です。

 皆様は、老いをどのように実感していらっしゃるでしょうか。

 わが国は超高齢化社会を迎え、平均寿命は延びています。
老いることが受け入れ難いと、生き辛さを感じてしまうでしょう。
 生きていれば歳を重ねて老化します。年齢に抵抗し、
外見的な若さだけを目指しても、実際の若さにはかなわないでしょう。
精神的な若さと成熟を志した方が魅力的な大人になるはずです。
少なくとも私はそう信じています。
年齢制限のあることや、加齢によって厳しくなることも増えますが、
それを嘆かず、受け入れ、今できることに取り組みましょう。


 ご覧いただきありがとうございます。
暑さに注意しつつ、二度と戻らない今年の夏を満喫しましょう。

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? 大阪は'天神祭り'でした。
 浴衣を着た人を頻繁に見掛ける季節ですが、
今年も和服を着る予定のない 煌龍 剛 です。


 さて... 最近、ネットやバラエティー系情報番組などで、
ファッション通販サイトの社長と女性タレントの行動が話題のようです。
 個人的には、その女性タレントにあまり興味を感じないし、
自分で稼いだお金をどう使おうと構わないと思っています。
今のところ私は、他者の幸せを妬むような感覚はありません。
アピールしたいなら「どうぞご自由に」という感じです。

 ただ、世の中にはさまざまな感性や価値観の人がいます。
幸せアピールをこころよく思わない人がいても良いと思うし、
どれが正解で、何が不正解などないと思います。

 ダースベイダーみたいな名前の米国人タレントは、
「アピールすることの何が悪いのかわからない」みたいな
コメントをしているというネット記事を読みました。
パリス・ヒルトンやビヨンセなどを引き合いに、
「ハリウッドセレブなら当たり前」と、擁護派みたいです。
 これに関して「ここは日本です」と私は思いました。
米国のセレブがどうとか、そんな前提根拠、比較はナンセンスでしょう。
もっと日本的な文化や価値観を理解して欲しいと思いました。
島国や村社会的な文化が悪いとは思いません。

 また、当事者の社長が、「出る杭は打たれる、けれど、
出過ぎた杭は打たれない」と言ったとか...
 その心意気は評価できるかもしれませんが、
私的な見解で言えば、ちょっと浅く洗練されていない考えで、
あまり教養を感じさせない人なんだなという印象を受けました。
 実際は「出る杭は打たれる、出過ぎた杭は、引き抜かれる」、
あるいは「出過ぎた杭は、使い物にならない」ではないでしょうか。

 ここで再度記しておきますが...
私は、幸せアピールは「どうぞご自由に」と捉えています。
それがしたくて頑張るのも全然アリだと思います。
 ただ、そんな'認められたい'といった強い承認欲求は、
心の奥底に潜む劣等感(コンプレックス)の裏返しだと推測できます。
そして日本的な文化では、品格の良い行いとは言い難いように思います。

 そんなこんな...
大雨で苦労されている人もたくさんいらっしゃるでしょうが、
つくづく日本は平和な社会なんだなぁと思いました。


 ご覧いただきありがとうございます。
二度と戻らない今年の夏を満喫しましょう。

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? 花火大会や盆踊りの季節ですね。
 自宅のある兵庫県芦屋は7月21日(土)に花火大会ですが、
占いCafe エルミッツの営業で観ることができない 煌龍 剛 です。


 さて... 受け入れ難い問題(出来事や展開)に直面すると、
辛く苦しく悲しく虚しい... そんな感情に心が囚われてしまいます。
 そうした状況から一秒でも早く抜け出したくて、
問題を解消、もしくは少しでも改善するために、
多くの人がどうしてそうなったのか?といった理由を考え、
問題の本質の一側面として原因を究明しようとします。

 問題に至った理由や根本的な原因が判明すれば、
具体的な対処としての行動へと繋がりやすいでしょうし、
とりあえず現実を受け入れた感じがして、心が軽くなるかもしれません。
 占い鑑定を要望される人の多くは'未来'を向いていますが、
過去に縛られるように、理由や原因を探す人も少なくありません。

ただ、何を理由や原因として納得するかは、
個別の価値観や判断基準によって異なる自由意志によるものです。
出来事(事実)は一つであっても、その解釈は十人十色です。

 そもそも、その人の経験、知識や教養の中で理由や原因を探すため、
初期段階の情報収集で個人差や偏りが生じてしまいます。
知識や教養、その基盤である言語が乏しければ情報量も少ないでしょう。
 加えて、辛く苦しく悲しく虚しい... そんな感情に心が囚われていると、
冷静で客観的な分析的思考を働かせることは困難でしょう。
 さらに、これら(自分の浅慮や稚拙さ)の認識や自覚が乏しいまま、
自分の価値観や判断基準が大きく影響していることにも気付かず、
自分が受け入れやすい理由や、自分にとって好都合な原因を
採択している可能性を気づかないままでいると...
 その必然として、妥当な理由や原因に辿り着かず、
結局のところ、適切に問題を解消、もしくは改善や対処ができず、
より深刻に複雑化してしまうことになりかねません。

というか、多くの人がこうした悪循環や負のループにはまっています。
なぜ、自分が採択した理由や原因が正しいと思えるのでしょう。
どうして、自分の判断が妥当であると思い込めるのでしょう。
それはある意味、傲慢であることに他なりません。

 他方で、理由や原因の究明で'占い'などにありがちな問題があります。
それは「前世や先祖の因果」みたいな帰結をすることです。
宿命論も含め、それが間違いだというわけではありませんが、
そうした超常的な理由や原因であれば、問題の解消や改善は不可能です。
不都合な状況や、受け入れ難い展開の理由や原因は、
超常的な「前世や先祖の因果」みたいなことなのかもしれませんが、
そこで納得して心が軽くなったとしても、問題は何も解決しません。
解決したように錯覚して思考を停止させているだけです。
ある意味、お手上げ状態で無抵抗に諦め、問題から逃げています。
 誰にも確認できない超常的な理由や原因をベースにすると、
その対処や改善策も非現実的なものとなってしまいます。

 そんなこんな... 本気で問題を解決したいなら、
正解のない原因探しはほどほどにして、今できることに集中すべきでしょう。
 どこからか、矢が飛んできて刺さってしまったとき、
何で自分が刺されたのだろうとか、誰が放った矢なのだろうとか、
あれこれ理由や原因を考えるより、まず、矢を抜くなどの処置が大切です。
また、できるだけ正確に、ありのままの現実を把握・理解し、
適切な対処を行うには、実践的に応用可能な教養を磨く必要があります。
その教養には、個人では解決できない問題が多いこと、
人生は不都合が多く、思い通りとは限らないことへの理解が含まれます、

 過去の理由や原因を探すだけでは、未来の改善や適応には至りません。


 ご覧いただきありがとうございます。
いくつになっても、毎日が新たな発見と刺激の連続です。

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? 連日すさまじい暑さですね。
 夏は大好きで、暑いのは平気なはずですが、
不意に熱中症になる可能性を心配している 煌龍 剛 です。


 さて... お盆期間の営業をご案内します。

~8月10日(金)
 対面鑑定 ~20:00 *要予約
 占いCafe HERMITS(エルミッツ) 20:00~翌4:00
8月11日(土)、12日(日)
 対面鑑定 ~20:00 *要予約
 占いCafe HERMITS(エルミッツ) 定休
8月13日(月)~15日(水)
 対面鑑定 ~20:00 *要予約
 占いCafe HERMITS(エルミッツ) 20:00~23:30
8月16日(木)、17日(金)
 対面鑑定 ~20:00 *要予約
 占いCafe HERMITS(エルミッツ) 20:00~翌4:00
8月18日(土)
 対面鑑定 ~20:00 *要予約
 占いCafe HERMITS(エルミッツ) 20:00~23:30
8月19日(日)
 対面鑑定 ~20:00 *要予約
 占いCafe HERMITS(エルミッツ) 定休
8月20日(月)~ 通常営業
 対面鑑定 ~20:00 *要予約
 占いCafe HERMITS(エルミッツ) 20:00~翌4:00

 ご予約・お問い合わせはお気軽に...
090-6233-5205 か tsuyoshi☆nalcis.sakura.ne.jp(☆を@に替えて) まで!


 ご覧いただきありがとうございます。
皆様とお会いできることを楽しみにしております。

●評価

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? つきなみですが「暑い」ですね。
 大雨による被害で、広島の実家を心配していただき、
その温かい気持ちに感謝しかない 煌龍 剛 です。


 さて... 今回のブログは「評価」について語りたいと思います。
皆様は「評価」と聞いて、どんなイメージを抱くでしょうか。

 まず、改めて「評価」という言葉の意味を確認します。
コトバンク デジタル大辞泉 によると...
1 品物の価格を決めること。また、その価格。ねぶみ。
 「評価額」
2 事物や人物の、善悪・美醜などの価値を判断して決めること。
 「外見で人を評価する」
3 ある事物や人物について、その意義・価値を認めること。
 「評価できる内容」「仕事ぶりを評価する」
コトバンク 大辞林 第三版 によると...
① 物の善悪・美醜などを考え、価値を定めること。
 「死後に学説の-が高まった」
② 品物の値段を定めること。また、その値段。
 「土地の-が年々上がる」 「 -額」
③ 物の値打ちを認めてほめること。
 「 -できる内容の本」
*https://kotobank.jp/word/評価-613121 2018年7月19日

 こうした意味を前提に「評価」を考察すると、
主語が'私'で、能動的に「評価をする」といった場合と、
主語は'他者'あるいは'周囲の人'や'社会'で、
その中に'私'が含まれたり含まれなかったりしながら、
やや受動的に「評価をされる」場合があることに気づきます。
 いずれの場合においても、その対象は人に限らず、
物や事柄、事象や出来事など多岐にわたります。
 そして、絶対評価と相対評価があり、
何らかの比較対象があること、何を基準とするかなどによって
帰結する「評価」は大きく異なるでしょう。

 また、自分や自分の行いや業績などに関して考える場合には、
能動的な「自己評価」と受動的な「他己評価」があります。
 この自己と他己の評価、その相違やギャップは、
ある意味、理想と現実みたいな様相もあります。

 このような「評価」は、『悩み』に強く関係しています。
全ての『悩み』の背景に何らかの「評価」があると考えられます。
 たとえば「嬉しい」とか「気に入らない」みたいな
その後の行動に影響を及ぼす情緒的感覚も「評価」が関係しています。
 辛苦を伴うような『悩み』と向き合いって、
解決や改善を目指す過程で、自己や他己の「評価」に着目してみると、
それまで気づかなかった別の原因を発見できるかもしれません。

 我々は普段気づかないところで「評価」したり、されたりしています。
出来事、自分、他者、結果、物品、成果、恋愛、仕事...
睡眠、食事、排泄... といった生理的欲求まで「評価」しています。
 前述の「評価」という言葉の意味を深堀すると、
比較対象が曖昧であることに気づいたのではないでしょうか。
何を基準に、何に価値をおいて、どんな傾向で「評価」しているのか、
各個人の自由度は高く、それだけにかなり'いいかげん'で
受動的に「評価」される側としては、気にするだけ無駄と言うか、
気にしても仕方ないことのようにも思います。
加えて、自分に対する「評価」をどう受け止めるかも重要でしょう。
 また、能動的に「評価」する側としては、
それ(自分の評価)が絶対に正しいとはいえないことを肝に銘じ、
特に自分への「評価」は、あてにならないことを自覚すべきでしょう。


 ご覧いただきありがとうございます。
他者からの評価と、自分の価値は別次元なものです。

●第一印象

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? 
西日本を中心とした大雨で多数の被害があるようです。
心よりお見舞い申し上げます。


 さて... 先日、私が参加した福祉系の講義において、
ほぼいきなり説明なしで、質問を受け付けない条件で、
「第一印象は、どのようなことからつくられていると思いますか」
という課題が出されました。この課題に対して、まずは個人で考え、
後に5名くらいのグループに分かれて話し合うワークでした。

みなさんはこの課題について、どのように考えますか?

私は、そのワークで「少し驚いた」というか、
改めて自分の感覚が一般的ではないことを思い知ることになりました。

 まず、私は何に対する「第一印象」なのかを確認したいと思いました。
物質に対してなのか、事象に対するものなのか、対人なのか...
私としては『前提』を明確にすべきだと考えたのですが、
その場の雰囲気(総勢15名)は、私以外の全員が「対人」と捉えていました。
不明確な前提に戸惑っている(こだわっている?)のは私だけでした。
 質問を受け付けないということだったので、
そこは空気を読んで「対人」の「第一印象」について考えましたが...

 私以外の全員が挙げていたのは、
服装、持ち物、表情、態度、髪型、しぐさ... といった見た目(視覚)的要素、
声のトーン、言葉、話し方... といった聴覚的要素など、
「表面的に発している情報(要素)から第一印象がつくられる」でした。

 ご覧いただいているみなさまは、いかがでしたでしょうか?

 そうした課題に対して私は、
「経験や価値観、パーソナリティによって第一印象がつくられる」
要するに、私は「第一印象」をつくるのは'捉える側'だと考えました。
そして、その考えから得意の心理学理論を箇条書きにしていました。
その人の目立つ特性に引きずられる傾向 ⇒ 「ハロー(光背)効果」
「論理的過誤」「寛大効果」「ステレオタイプ」「スキーマ」「中心特性」...

 課題が、「第一印象は、何を手掛かりにつくられますか」であれば、
私も他の人と同じような要素を考えていたと思います。
その意味では、課題の文章に問題があることは否めないでしょう。
ただ、私からすると私以外の全員が、なぜ何の疑問や躊躇いもなく、
課題に対してほぼ自動的に「表面的に発している情報(要素)」と考えたのか、
かなり不思議に思ってしまいます。
答えとして、どちらが正しいとか誤りだとかという話ではないでしょうが、
数や割合からすると私の発想の方が稀であり、一般的ではないことになります。

 う~ん... やはり私は'変わり者'なのかもしれません。
一般的でありたいと考えているわけではありませんが、
多くの人と関わり合う社会の中で生きているので、
一般的な発想も理解したうえで、個性を重んじる自分でいたいと思いました。

 ご覧いただきありがとうございます。
人生は驚きと刺激の連続で、新たな気づきがありますね。

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? サッカー ロシアW杯を観ていますか?
 日本代表は決勝トーナメント(ベスト16)まで進出したものの
とても悔して惜しい試合展開でベルギーに敗れてしまいました。
それでも、その後も基本的に全試合を見続けている 煌龍 剛 です。


 さて... 「自分らしさ」や「等身大の自分」、
「自分に正直であれ」「心の命ずるままに」「やりたいことをしよう」
こうした言葉を近年よく耳にするのは、私だけではないでしょう。
さまざまな系統の『自己啓発』における常套句であり、
幸せに生きるための価値観のように捉えている人も多いように感じます。

 しかし、これらを踏み込んで哲学的な命題として捉えれば、
自らの情動に全てを委ねる'欲望自然主義'となります。
各自が欲望を満たすために、本能のおもむくまま行動をすれば、
確実に社会は成り立たなくなってしまうでしょう。
社会を構成する一員として、何をしてもよいというわけではありません。
社会にはルールやモラルがあり、各々に義務や責任を負っています。

 われわれ人間は、自らの自然な心の動き(情動)をコントロールし、
「したい」だけではなく、道徳的な「すべき」という動機を包括して
行動することができる'理性'を有した存在です。
逆に言えば、理性あってこそ人間です。

 「自分に正直で」「心の命ずるまま」「やりたいように」などは、
自分を苦悩させてしまうような抑圧に気づき、必要以上に縛る規範を外し、
自分の心と向き合うには有意義でしょう。
 ただし、咀嚼なしに判断の基準として据えることは、下手をすると
相手や周囲への配慮に欠けた自己中心的な行動を促すことになりかねません。
 加えて、まるで幼児のような万能感に近い発想や行動を無意識的に、
都合良く肯定するための言い訳に用いてしまう危険性もはらんでいます。
 これは、苦悩から解放されたくて
「自分に正直で」「心の命ずるまま」「やりたいように」を心掛けたら、
理性や冷静さを失って、幼児のような自己中心的になり、
余計に苦悩してしまう結果を導きかねないと捉えることもできます。

 そんなこんな... 世間や一般で「良い」とされることも
そのまま鵜呑みにして都合良く解釈するのではなく、
前向きに疑って批判もできる教養を身に着けることで
魅力的で素敵な大人になっていけるのではないでしょうか。


 ご覧いただきありがとうございます。
自分を知ることって、幸せを考える上でとても大切ですよね。


参考文献
・宮元啓一,仏教の倫理思想,講談社,2006年

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? マトリョーシカを持ってますか?
 ロシアへ行ったことがなく、お土産でもらったこともないため、
マトリョーシカに触れた経験もない 煌龍 剛 です。


 さて... 数年前からチラホラ、小柳ルミ子氏の'サッカー好き'が
テレビなどで取り上げられるようになりました。
連日かなり長時間、驚くほどたくさんの試合を観戦されているようです。
 今回のロシアW杯では、コメンテーターとしてTV出演しています。
趣味(サッカー好き)が高じて、新しい仕事を手に入れたのか、
新しい仕事への探求や情熱が高じて'サッカー好き'になったのか、
あるいは、その両方なのか... その辺りは計りかねますが、
いずれにしても、新境地といえる仕事を手にしたのは確かでしょう。

 ただ... 私は、少し気になるところがあります。
それは、今回のW杯における小柳ルミ子氏の複数のコメントにあります。

 おそらく小柳ルミ子氏は、サッカー経験者ではないでしょう。
元プロ・サッカー選手でないことは明らかです。
 その意味で、いわゆる'専門家'としてではなく、
なんとなく'女性芸能人きってのサッカー好き'みたいな枠(役目)で
サッカー番組への出演やコメントを求められているのでしょう。

 ここで少し話は逸れますが、「専門家」について考察したいと思います。
weblio辞書,https://www.weblio.jp/content/専門家,2018年6月25日 によると、
「ある技芸や学問などの専門的方面で,高度の知識,またすぐれた技能を備えた人」
 これを'占いの専門家'か'占師'に置き換えたら、
「占いに関する高度の知識、または優れた占い技能を備えた人」になります。
私の知識が高度か否か、所有の技能が優れているか劣っているか、
それらを相対的に判断できるような明確な基準がないため、
私は、専門家という定義に対して、自称専門家(占師)となってしまいます。

 閑話休題。こうした定義を前提とすれば、
小柳ルミ子氏はサッカー専門家なのでしょうか。
高度な専門的知識は、サッカー好きでたくさん試合観戦をすれば
自動的に備わるものでもないように思います。
ただし、専門家でなければコメントしてはいけないという意味ではありません。
 そして、専門家の定義に、その人の「経験」の有無は言及されません。
たとえば男性の医師で、産婦人科の専門家も存在するでしょう。

 では何が私的に「気になる」かと言えば...
小柳ルミ子氏のコメントの基盤、意見の依拠するところは、
サッカー好きな彼女の感性でしかなく、ある意味、感情論に過ぎません。
 そんな感情論が悪いということではありませんが、
経験のない人が「私でもあんなミスはしない」みたいなコメントは、
いかがなものかと思います。視聴していて不愉快に感じられました。
仲間と居酒屋で、無礼講・言いたい放題・戯言... ならいいけど、
もう少し公共の電波であることを意識して欲しいと思いました。
 期待を前提とした、期待の裏返し的な辛辣なコメントもいいけど、
小柳ルミ子氏は、専門家のセルジオ越後氏と同じ立場ではありません。
彼女の専門家風なコメントも、あまり良い気はしません。

 こうした私の軽い不快感は、私の経験に理由があるかもしれません。
まず、サッカーを愛し、本気で真剣に取り組んだ学生時代があります。
 次に、飲食業(占いCafe HERMITS(エルミッツ))を営んでいて、
お客様から「その程度の占いなら俺(占いの知識が無い)でもできる」とか、
「テキトーなこと言って、お金をもらえるから羨ましい」といった、
厳しく受け入れ難いコメントをいただいたことも関係しているでしょう。
 また、私は、どのような仕事、職種、業種... 専業主婦(主夫)も
リスペクトするように心掛けています。経験のない仕事に対して、
「俺でもできる」みたいな発想はできません。

 ちょっと筋は異なるかもしれませんが、
男性芸人の政治や外向、世界情勢に関する発言も気になったことがあります。
憲法を「読んだことない」と言う男性芸人には、
「朝まで生テレビ」のような専門的な議論は厳しいでしょう。
自分なりに意見を持つことは良いことかもしれませんが、
公で専門的な意見をするなら、それなりに勉強した上で発言して欲しいです。

 そんなこんな... 自分を知ることは重要ですね。
他者からの注意・進言・助言・忠告を謙虚に受けとめたいですね。
歳を重ねて、大人になればなるほど何も言ってくれなくなります。
聞く耳を持たない雰囲気にならないように心掛けたいです。


 ご覧いただきありがとうございます。
自分と、自分と同じくらい他者も大切にしたいですね。

 こんにちは! アクセスありがとうございます。
ご機嫌いかがですか? サッカーW杯を観ていますか?
 日本代表は第2戦(対セネガル)も検討し、
決勝T進出に期待を膨らませている煌龍 剛 です。


 さて... たまに出会う機会があるのですが、
自己紹介などで「こう見えて、私〇〇なんです」みたいな
表現をする人がいらっしゃいます。
 先日も私が、とある親睦会(40人規模)に参加した際に、
やや日焼け?して(美白系ではない)都会的に洗練された感じではなく、
'美魔女'みたいな華やかな美人系ではない
家庭的な雰囲気の50歳代後半かアラ還の女性が自己紹介された際に、
「こう見えても孫がいます」とおっしゃっていました。

 私は咄嗟に心の中で「こう見えて?」って...
ご自身にはどう見えていらっしゃるのだろう?と考えました。
お孫さんがいらっしゃることに違和感ない雰囲気の女性です。
「えぇ~ お孫さんがいるように見えない...」みたいな空気が
会場に漂う感じでもありませんでした。

 この場合の「こう見えて」という前提は、
おそらく「孫がいるような歳に見えないでしょうが...」みたいな、
そんな感じのニュアンスではないかと推測できます。
 もちろん、どのような自己評価でも良いし、
誰も質問したり、ツッコミ入れたりする人はいません。
それがご本人の「カン違い」や「思い込み」でだったとしても、
他者の迷惑になることではないし、微笑ましい範囲かなと思います。

 ただ、自分は気をつけようと思いました。
こう見えても... ではなく、どう見えるかわかりませんが... なら
少し客観性が保たれているかもしれませんね。


 ご覧いただきありがとうございます。
心地良く穏やかな毎日を過ごしたいですね。
私はどう見えているかわかりませんが、どう見えても構いません。