まさかあの人が...

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殺人事件で犯人が逮捕されたあと、犯人を知る人がテレビ局からインタビューされる時、彼らは決まってこう言う。

「挨拶もよくしていたし、とてもいい人でしたよ」

「大人しい人で、真面目そうな方でした」

「まさかあの人が...」等々。

一見真面目そうで悪い人には見えない、と思われている人が殺人犯になっている。

人の心の深層は見えないものだ。
外見が整っている人や普段から笑顔を絶やさない人は、腹のそこで悪いことを考えていても、悪くは見られない。

殺人は"血気"や"嫉妬"から来るものが多い。
誰しも生まれ持っているもので、先祖代々受け継がれてくる。
先祖が公的に生きれば生きるほど、その子孫には徳が受け継がれていく。逆に財産を蓄えることに一所懸命生きていけば、子孫には負の財産を残す。
目に見える物や地位、名誉などに価値を置く人は、霊界に行けば低級霊界にいく。
神仏を尊び、自己を犠牲にして愛や心を大切に生きる人は、霊界に行っても高級霊界にいける。

血気から殺人を犯す人は、背後で浮かばれない低級霊が憑いてることが多い。
ふだん真面目そうでも、感情的になると間髪(はつ)を容れず、悪霊が作用して事件を起こす。
自己の感情を常に抑制する努力と、心の底に潜んでいる悪性を徹底的に排除する努力をしていけば、自動的に悪霊から善霊にかわり、その人を協助するようになる。
そのためには、キリストや釈尊の生きかたを学ぶことである。信仰するだけでは意味がない。◯△教に入信したからといって救われる訳ではない。
救われたと信じこんでいる人が多いが、それは錯覚である。
人格が改変されない限りいくらご利益を求めて信仰しても意味がない。
商売が繁盛したとか、病気が治ったとか、本質とはなんら関係ない。
自己の中に一点も曇りがないレベル、すなわち自己中心的な感情が全くないレベルに到達しないと本物ではない。
見た目だけ善人ぶっていても、環境によってはいつ「まさかあの人が...」と言われる殺人犯になる可能性がある。そういう要素を人類はみな持っていることを認めて、日々悪性を取り除く努力を惜しまない人こそ、本物になれる人である。