死後さばきにあう?

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ある女性が「『死後さばきにあう』とはどういう意味ですか?」と訊ねてこられた。

田舎の古い民家の壁に、「死後さばきにあう」という聖句(聖書の言葉)が書いてあり、気になったとのこと。

田村式解釈では、閻魔(エンマ)大王とは、キリストである。

イエス様は、"Emmanuel"と呼ばれた。それは、「神、我とともにいる」という意味である。

悪事をたくさんおこなった者は、地獄へ行くしかない。そういう者は、キリストが恐ろしく見える。

恐怖の大王である。

死ねば、キリストが裁く前に、自身でどの段階の霊界へ行くかはわかるようになっている。

霊界へ行ってもいきなり高い所へはいかない。

まず低い所へ行き、だんだんと高い所へいく。

自分の心霊レベルに合っところへ差し掛かると、自動的に分かるので、そこへ入っていくようになる。

心霊基準より高い霊界へ入ろうと思っても、光が強すぎて目が開けられないし、入ることは不可能である。

「死後さばきにあう」というのは、自分で自分を裁くという意味である。

肉体を中心とした地上生活では、醜いものをごまかすことができるが、霊界へ行けば白日のもとに晒されるため、ごまかしはきかない。

霊体は、心霊状態がそのまま反映される。醜いものは人間の姿をしていない。異臭を放つこともある。

そういう者たちが集まれば、自動的に地獄と化す。神様が地獄をつくられたのではない。

どんなに美しい自然があっても、そこに邪悪な者たちが集まれば、自然と地獄が生じるのである。

死後さばきにあいたくなければ、日々自身の罪と向き合い、悔い改め、邪心を剔抉していくしかない。。