自分が考える彼が喜んでいるだろうという憶測が外れている可能性があります。
彼に、お疲れ様!とメールしている。
彼に、大丈夫、元気?などとメールして気遣った。
彼に不満があるけど、呑み込んで、彼を責めたりしなかった。
彼に会いたいと言いすぎないように我慢した。
彼から誘ってくるのを待って自分からは催促したりしなかった。
はたしてそれは、恋人関係において、彼を喜ばす行為なのでしょうか。
特別で大事な人を喜ばす行為とは、どういうことなのか、と知恵を絞って考えることこそが、悩みであり、我慢したり遠慮せずに、直接彼の求めていることが何かと問いかけることこそが、お互いを理解し向き合うということであり、コミュニケーションなのではないでしょうか。
その流れをつくろうとする意志こそが、関係を良好にする方法論であり、継続し続ける努力こそが、尽くすことであり、愛し合う、分かち合うという行為なのではないでしょうか。
出会った頃の気持ちを持ち続けてもらい、彼の興味や関心を他へそらさないための行為とも言えるかもしれません。
つまり、誰かに愛されるためには、愛することから始めなければならないということ。
長い時間の中で、そのような努力が実を結び、二人の呼吸が合うようになるのではないでしょうか。
「愛される」ことと「愛する」ことは、裏表であり、二つは一体なのです。
誰かに「愛される」人とは誰かを「愛する」人に他ならないのです。
つまり彼に愛されるためには、彼を愛する必要があり、そのバランスの均等性を保つことの難しさであり、その難しさに挑む情熱と知恵と客観性にこそ、愛を育むカギがあるのではないかと思うのです。
そして、もう一つ、女性たちは男性に対して大きな誤解をしているのではないかと思うのです。
つづく・・・