知恵ある生き方

皆さんが小さい頃から一度は聞いたことがあるお話だと思いますが、人が死んだらあの世に行って、まずは「はぎ取りばばあ」というお婆さんに着ている服やら肩書き・地位・名誉などなど全てをはぎ取られてまさに丸裸の状態で閻魔大王の前に差し出される。無防備で素っ裸になった人間に閻魔大王がこう尋ねる。『お前は何者ぞ』。聞かれて何も答える事のできなかった人間は舌を抜かれて地獄に堕ち、答える事のできた人間は天国(極楽)へ。

これは仏教の教えなのですが、仏教というものは実は比喩。本当はあの世の事を教えているのではなくて、これを現実の今生きている世界に当てはめて考えなさいという教えです。

閻魔大王=今の社会、はぎ取りばばあ=生きている中で何かを失うつらい出来事を表しています。

何かを失うとは、不況とか倒産とか失業とか病気、失恋、事故、肉親の死...他にもまだまだ色々ありますよね。現実世界の「はぎ取りばばあ」にそっくり自分の身に付けていた物を持って行かれた時、いくらはぎ取られても、はぎ取りばばあがはぎ取ることのできない何かを身に付けている人は、今の社会で再びはい上がり幸福を見つける事ができますし、何も身に付けていない人は社会で地獄に堕ち、そこからはい上がる事ができません。

はぎ取ることのできない物って何だと思います?

それは、皆さんがこれまで身に付けてきた技術や感性、信念など他の誰とも重ならない自分だけの物、すなわち「知恵」を持っていれば、どんな苦境に立ってもその荒波をものともせず、再び浮上する事ができるということです。知恵こそが、はぎ取ることができないその人独自のものなんです。

例えば暑い夏。不幸からはい上がれない人の思考はこうなります。
「あ〜暑い暑い。どうしてこんなに暑いの?こんなに暑かったら眠れやしない。」と朝まで眠れぬ時間を過ごしてしまう人。

知恵がある人は暑ければ窓を開ければいいとか、物騒だからクーラーでいいや、とか「夏なのだから暑さとはこんなものだろう」と流してしまうとか、そういう思考に至ります。

知恵というものは、皆さん元々自分の中に持っているんですよ。どんな人でも。でも自分に内在しているその力に目を向けず、自分の持っていない宝探しをしようとするから、自分の中に既にある宝を生かそうとせず、つぶれていってしまうのです。

困った時は自分を見つめ直す。そこから自分の持っている「技術、感性、能力=知恵」を生かして課題を片づけていく。苦しい苦しいと思っている時間を、ではどうすればここから抜け出すことができるのか自分に問いかける時間に置き換えましょうというお話です。

つい見たくない事から目をそらし、「私を愛していると嘘をつき続けて私を捨てた彼を恨んでやる!」とか「神様はなんて冷たいのでしょう」とかよそに不幸の原因を求めて自分を慰めたくなりますが、苦しいのにそんな事をしていてもますます苦しくなるばかりです。

「一人の男(女)に捨てられた。その人はもう戻らない。」

「財産を失った。」

これらもろもろの、自分がもうはぎ取られてしまった物はどうにもなりませんが、新たに築ける物は何かあるものです。パートナーなら外に目を向ければなんと沢山の独身男女が多い事でしょう!財産はがむしゃらに働いて築き直すしかないではありませんか。

私自身、過去何度も大きな物を失いました。そんな時、ある程度の時間は思考停止してさっぱり動けませんでしたが、さんざん泣き、苦しみながらも自分の中にある「私だけの知恵」を絞り出して荒波を乗り越えて参りました。

私が元々強い人間だったかといえば、そうではありません。しかし小さな頃から家も貧乏であるし、親との関係にも不自由が多かった。そういう「与えられすぎない人生」というものが自分を少しずつ鍛え上げていったのだと思います。

今になって、よく祖母が、「子供は貧乏に育てろ。あれもこれも与えすぎずにちょっと不自由な暮らしくらいが丁度いい」と言っていた意味がわかりました。あれは与えられすぎ恵まれすぎると、精神的な強さが身に付かないよと言いたかったのでしょうね。

皆さんの中にも沢山これまで生きてきて身に付いた知恵が内在しているんですよ。その事をお忘れなく!

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