昨日、書いたようないい加減な終末予言がわりと簡単に信じられるのは、ここにも認知的不協和が働いているからです。
誰でもなんとなく不安に駆られることはあると思います。しかし、ちょっとプライドの高い人は自分は理性的な人間なのに理由のない不安に駆られていることが納得できないんですね。
そして、姿の見えない恐怖や不安に具体的な根拠を与えるために、不吉な予言を信じようとするわけです。
世界が滅びるとまで行かなくても、人を不安にさせるような悲観的情報が広く流布することがよくあります。
それが多くの人に受け入れられるのは、すでに前もって人々の間に漠然とした不安が広がっている時なんです。
例えば、非行が増え、悪質化しているという情報はそうした不安と協和的で、それを正当化あるいは明確に表現してくれから受け入れられるのです。
非行に対する現在の危機意識は、マスメディアの扇動の結果に過ぎないとは必ずしも言えないんですね。
マスコミがいくら騒ぎ立てても私達の側に共鳴するものがなければ深刻に受け止められることはないのですから。
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