悪魔払いを巡る裁判−映画「エミリー・ローズ」(3)

それで、裁判が始まったわけですが、争点自体はそれほど複雑ではありません。

神父がエミリーの死に責任があるかどうかです。

すでに書いたようにエミリーの死因は栄養失調と自傷行為による衰弱ですから、神父が直接手を下したわけではありません。

しかし、彼は医師がエミリーに処方した薬の服用を止めさせました。

そして、医師はそれが死に繋がったと表明しています。

全体的には裁判は神父に圧倒的に不利なまま進むのですが、最終弁論で弁護士は起死回生の奇策に出ます。

一種の哲学論争に持ち込んだんですね。

「神と悪魔が存在するか否か。わからないが否定はできない。

エミリーは生まれつき憑かれ易い体質だったのか。可能性はある。

悪魔祓いが失敗したのは薬で脳が麻痺していたからなのか。断言はできないが可能性はある。

エミリーは、悪魔の存在を人々に知らせるために自ら進んで犠牲になったのか。断言はできないが可能性はある。

神父が過失致死の罪で有罪であることになんの疑問の余地もないのか。

事実は一片の疑問の余地のないもので、この事件では事実は何もない。

すべては可能性でしかない。唯一の事実は神父のエミリーへの愛である」

詭弁の最たるものですね。

こんなことを言い出したら裁判なんかできません。

何の疑いの余地もない事実だけを積み上げることなんか誰にもできないからです。