ラポールの構築(2)

66832.jpg昨日の続きです。

そう云えば、昔、パリで通訳をしていた時に、日本から来たどっかの県会議員だか市会議員が初対面なのに私の名前を本当に頻繁に会話に挟んだことを覚えています。

ちょっと違和感がありましたが、意識的にやっていることはよくわかりました。

議員の処世術なんでしょう。

しかし、人は名前を呼ばれるとなぜ親しみを持つのでしょうか。

自分自身に、潜在的に強い関心を持っているからです。

そのためにどういう風に呼ばれるかで相手に対する印象も変わってきます。

自分が注目されていると感じると潜在心理がくすぐられて気持ちがいいんですね。

だからそういう相手には好意をもちますし、お互いに親近感も生まれます。

ついでに言えば、アメリカの心理学者によると、話をする時に「私」よりも「私たち」を多く使ったほうが聞き手の関心を引き易いとのことです。

「あなたたち」だと、話し手である自分と聞き手とは別の存在であることが強調され、突き放した言い方に聞こえるというわけです。

それに対して「私たち」は同じ立場という一体感を生み出します。

ただ、英語と日本語では違いますから、この理論をそのまま適用することは難しいでしょうが。

とにかく自分は相手と同じ側に立っていると思われるようにすることですね。

もう少し続きます。

では。