科学の限界(続き)

89427.jpg昨日の続きです。

昔は、雷も不思議な力のなせる技だと信じられていました。

しかし、雷をたとえば雷獣でも雷神でも良いですが、そんな超自然的存在のせいで起きると結論付けてしまうとそれ以上考えることがなくなります。

これでは進歩のしようがありません。

また、すでに書いたように、幽霊や臨死体験はそのメカニスムはかなり解明されているのに、多くの人は知らないか、認めようとしません。

もっと具体的な例を上げると、ナスカの地上絵などでも、描いた方法や目的などはほとんどわかっているにもかかわらず、いまだに宇宙人の仕業だなどと主張する人間がいます。

こういう人達は遠回りや努力が嫌いなのでしょう。

そして、無意識的か意識的かは知りませんが、研究を積み上げてきた人間の業績を馬鹿にしていると思います。

科学が進歩するとロマンが失われるとの意見もよく耳にします。

しかし、科学の進歩とロマンは決して矛盾するものではありません。

ある本には、科学的とは非論理性を排除する姿勢だ、と書いてありましたが、われわれは常にこの姿勢を持ち続けなければいけません。

何度でも繰り返しますすが、その上で残されたものに畏敬の念を抱き、人間の小ささを知ればいいんです。

人間を過小評価することも過大評価することも同じように愚かなことではないでしょうか。

では。