昨日書いたように、ムルソーは世間的に言われている愛がわからないんだと思います。
そのために、愛しているかどうかも「大した意味がない」と考えていたのでしょう。
あくまで私の想像ですが。
だからと言って、最近では、セックスフレンドなんて言葉もあるようですが、別に彼女をセックスフレンド扱いしようとしたわけではないはずです。
自分の抱いている感情が本当に愛と呼べるものであるかと訊かれて、自信を持って肯定できる人はあまりいないのではないでしょうか。
それでも大抵の人は愛と言う言葉を多用しています。
実際には性欲の発現でしかなくとも、愛と思い込もうとすると云うか。
まあ、愛と性欲は表裏一体のものですから、確かに難しいのですが。
少なくともある程度の年齢までは。
ムルソーは正直ゆえに気安く愛しているなどとは言わなかったのでしょう。
彼にとって大事なことはマリと一緒にいて楽しい、彼女を美しいと考え、いとおしく思い、彼女に欲望を覚える、それだけでよかったんでしょうね。
しかし、実はこれは普通の人が愛と呼んでいる感情と同じものです。
では、ムルソーが本当に彼女のことを愛していないのかと云うと多分そんなことはないと思います。
もし、ムルソーにマリーを大切に思うかと訊いたら思うと答えたでしょうね。
そして、彼女に助けを求められたら、躊躇うことなく手を差し伸べたはずです。
実際に彼は友達(友人についても彼はどうでもいいなんて言っています)を助けるために喧嘩の助っ人をし、それがこじれて相手の一人を殺してしまいます。
ついでに云うと、その結果裁判にかけられ、普通だったら正当防衛になるケースなのに、彼が「変わり者」であるために死刑になります。
明らかに、マリはムルソーの心の一部を占める存在になっていました。
それをどう呼ぶかは別にして。
ところで、このマリも偉いですね。
ムルソーに愛していないと思うと言われても、怒りません。ちょっと悲しそうな顔をするものの、すぐに笑顔になります。
彼の心がわかっていたんでしょう。
とろいと思う方もいるでしょうが、私はこんな女性が好きです。
いずれにしても、私には軽々しく愛を口する人たちよりもムルソーの方がずっと身近に感じられます。
では。
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