今日は認知的不協和理論の話です(かなり長くなることをあらかじめお断りしておきます)。
これは割りと重要な心理学用語なのですが、決して難しいものではありません。
先日取り上げたセルフ・ハンディキャッピングと同じで恐らく多くの人に覚えがあると思います。
認知的不協和とは1975年にアメリカの社会心理学者フェスティンガーが提唱したものです。
人が何らかの物事に遭遇した時に、それが自分が持っている「認知」と相容れない場合には不協和が発生します。
そして、通常その「不協和」を解消しようとするんですが、そのやりかたには以下の3つの方法があります。
現実を変えたり、考えを変える、または、事実を軽視したり、無視する、そして屁理屈をこねたり、問題をすりかえる、です。
ただし、1や2のように、「変化」させたり「否定」することは大変なので、実際には、3が選択されることが多いようです。
分かり難いと思いますので、具体的な例を上げます。
タバコを吸っている人の場合、タバコを吸っているという事実とタバコは害があるという知識には矛盾があります。
害があると思いながら、タバコを吸うのは、何となく落ち着かなくて、不愉快ですね。この不愉快な気持ちが「認知的不協和」ですね。
タバコを吸うこととをやめてもいいのですが、これはかなり難しい。
そうすると、人はタバコを吸っていても長生きしている例を探したり、タバコの害を低く見積もったり、「タバコと癌の関係は科学的に確認されていない」との考え方をとります。
そう云えば、先日、テレビ番組に出ていた医師も「タバコと癌の関係は・・・」とまったく同じことを言っていましたから、本当に良くあることですし、専門家でも陥り易い心理状態なんでしょう。
要するに「認知的不協和」から逃れるために、人は意識的にしろ無意識的にしろ自分の考え方を都合のいいように曲げてしまうわけです。
どんなことにでも理屈はつけられますから。
長くなったので続きは明日
では。
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