コンピュータを買ったとします。沢山のカタログを見て、考えた末に選びました。
それで、普通に考えると、買った後は広告もカタログも見る必要はないのですが、それでも人は広告を見るんですね。
しかも、自分が買った商品の広告をです。
別の広告を見て、もしもそっちの方が良いと思ってしまったら、「私はこのコンピュータを買ったのに、あっちの方が良かった」という認知的不協和状態になります。
これを避けるために、自分の行動が正しかったと思うことができる広告を読もうとするわけです。
人は、自分の考えに合った、都合の良い情報だけを選んで、集めようとしますし、なかなか自分の意見を変えようとしません。
また、情報を自分の考えに合うように、都合が良いように解釈します。
これも不協和を高くしないためです。
人間関係でも、誰かに対していったん良いイメージを持てば、その人の良いところを見ようとしますし、悪いイメージを持てば、悪いところを見ようとします。
「良い人」と思っている人に、あいさつをしたのに、返事がなかったら、聞こえなかったのかな、と思います。
ところが、「悪い人」と思っている人の場合は、あいさつをしたのに返事がないと、無視されたと感じるんです。
「返事がなかった」と言う情報を自分の中のその人のイメージと矛盾しないように、自分なりに解釈してしまったわけです。
もう一つ例を上げると、苦労を重ねて大学卒業して、大企業に入社した結果、そこがつまらない職場であったらどうするでしょう。
長年の苦労がひどい結果に、という事実を受け入れがたくて、いつのまにか、選んだ職場はすばらしいもの、会社におのれを捧げる、というこじつけを始めてしまうんです。
人はなかなか現実を直視できないのです。
まだまだ続きます。
では。
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