禁忌が欠如した人間

160914.jpg佐世保市で起きた女子生徒による同級生殺害事件が話題になっています。

テレビでは専門家と称する人たちがいろいろ話をしていますが、なかなかまともな分析をすることができないようです。

幸いなことに、こうした際にいつも聞かれる、最近の若い人たちは死を実感する機会がないとか、ゲーム等のために命を記号のように考えているといった紋切り型の意見はあまり聞かれません(少しありましたが)。

今回の事件は、若い人がどうしたとかといった切り口で一般化することなんかできないでしょう。

非常に特殊な性癖を持つ、禁忌の欠如した人間が犯した特殊な犯罪と捉えるべきです。

佐世保市では2004年にも、小学6年生の女児が同級生を殺害するな事件が発生し、以後、市内の小中学校で命の尊さを学ぶ取り組みを続けてきたとのことです。

にも関わらず、悲劇が繰り返されてしまったことから、市教委は、「10年間の取り組みは無駄ではなかったと思いたい。各校は真剣に取り組んできましたが、今回の事件を考えると、本当に子どもたちの心に届いていたのだろうか」と述べています。

しかし、禁忌の欠如した人間にはこうした教育はまったく効果がないんですね。

社会には一定の割合で通常の倫理観に共感できない人がいます。

問題の女子高校生のように人を殺してみたいと考える人がいるわけです。

そうした人間を精神分析等で見つけることはひょっとしたら可能かも知れません。

彼女は、小学校、中学校と問題があると思われる行動を繰り返し、問題の女子生徒を診察した精神科医も、佐世保こども・女性・障害者支援センターに「このまま行けば人を殺しかねない」と相談したそうです。

しかし、結局、何の措置も取られていません。

まだ犯罪を犯してもいない人間を予防的に罰することも、指導・教育することも非常に難しいんですね。

下手をすると人権問題になりますから。

これは今後も多分変わらないでしょう。

何か起きるたびに大騒ぎはしても、結局、効果的な対策は何も取られないだろうということです。