運、不運を短期で考えてはいけない

IMG_0016.jpg今日も運、不運の話です。

人は、往々にして、運、不運を近視眼的に見がちです。

では、運が良い、悪いをどのように評価するのでしょう。

ある人はパチンコや競馬で勝つと運が良いなんて言います。

そう言えば、一部では有名な元裏麻雀プロは、さっき老人に親切にしたから、役満を上がることができたなんてことを書いていました。

まあ、大体はこんな感じで、何か良いことがあった時に、運が良いと思うんじゃないかな。

しかし、これはあまりにも短絡的でしょう。

間違っているとは言いませんが、運とツキを混同していると思います。

大雑把に言うとツキは短期的なもので、運はもっと長い目で見るべきものです。

今、何か(因)をしたから、すぐ後に結果(果)が現れるようなものではないと言うことです。

有名な諺(故事)「人間万事塞翁が馬」(「人間」は、この場合、人生の意)を思い出してください。

大意を書きます。

ある老人(塞翁)の飼っていた馬が逃げます。

普通に考えると、これは不運です。

しかし、この馬は別の駿馬(足の早い良い馬)を連れて戻ってきます。

これは幸運。

そして、この駿馬に乗った老人の息子が落馬して脚を折ります。

これは不運ですが、その後、戦争が起きた時に息子はこの骨折のために兵役をのがれ、戦死を免れます。

これは幸運ですね。

ことほどさように、運、不運はわからないと言うことです。

世界は無数の縦糸と横糸によって編まれた織物のようなものです。

別のたとえで言うと物凄く複雑なアミダくじかな。

どこをどう辿って終点に辿り着けるかなんて誰にもわからないし、その途中で出会うさまざまな出来事の一つだけを選んで判断しても仕方がないんです。

これは非常に複雑な話で、占いの役割についても書きたいことがあるんですが、時間がないので、続きはまた別の機会に。

では。