江戸は粋で、田舎は野暮?

IMG_0016.jpg先日、ある似顔絵画家のエッセーを読んでいると、「田舎モンが嫌い(精神的な意味で)」との表現がありました。

なんですかねえ、「精神的な意味で」が免罪符になるとでも思っているのでしょうか。

そんな言い訳というか、責任逃がれをするくらいならはじめから言わなければいいのに。

潔くないとしか言いようがありません。

地方出身者でも精神的な意味で粋な人はいるし、東京生まれで東京育ちでも野暮な人がいると言いたいのでしょう。

粋は洗練、格好いい、スマート等で、野暮は鈍感、泥臭い、センスが悪いといった感じかな。

しかし、「精神的な意味で」と付け加えても、結局、田舎を否定的な意味で使っているのですから何も変わらないじゃないですか。

この人は東京都出身で、いわゆる江戸っ子だそうです。

落語なんかを聞いていても、昔は江戸っ子が地方出身者を馬鹿にするような話は沢山あります。

そうした選民思想が残っていて、それを何の考えもなしに受け継いでいるんでしょう。

まあ、別に江戸っ子に限らず、他の地方(たとえば京都)にもこうした言い方はありますが。

それはいいとして、人はいろいろなことで自分を特別だと思いたいものです。

しかし、そのよりどころとするところが、出身地、出自とか家柄とか自分の手柄ではないことなのは、情けないでしょう。

昔、何かと言えば、京都の公家の血筋を自慢する人間を知っていましたが、彼は詐欺師でした(本物の犯罪者です)。

彼に限らず、この種の人間はまがい物だと思った方がいいでしょう。

では。