すぐに神を引き合いに出すアメリカ人

IMG_0016.jpg先日、ウォールストリートジャーナルに、原爆に関するかなり刺激的なコラムが載っていました(直接、記事を読んだわけではありませんが)。

原爆投下70周年という節目だからでしょう。

内容を大まかに書いておきます。

「広島はあまりにも長きにわたり、ある種の左翼政治、暗黙の反米主義に塩漬けされた退屈な反戦主義と関連付けられてきた。これは残念なことだ。米軍が勝利という言葉を禁止し、米国の大統領が軍事力の行使を信じず、米国民が犯してもいない罪に罪悪感に苛まれている今日、われわれは広島の歴史から教訓を得るべきだろう・・・原爆が投下されたことを神に感謝しよう」

日本人からすると信じられないような主張ですね。

これを書いたのは、同紙の論説副主幹ブレット・スティーブンス記者で、ピューリッアー賞を受賞したことがあるそうです。

ピューリッアー賞はあまり日本では知られていないようですが、新聞等の印刷報道、文学、作曲に与えられる米国で最も権威ある賞です。

この賞を取ると超一流の記者としてのお墨付きを貰ったようなものですね。

ところで、今日、この記事の正当性に触れるつもりはありません。

私が気になるのは、神に感謝するとの表現ですね。

アメリカ人はなんでもすぐに神を引き合いに出します。

戦争をする時にも、神のご加護があるとか。

私なんかには、神がそんな不公平なことをするとは思えませんが。

戦争の相手側も神を信じているかも知れませんからね。

一方では神の愛を説き、一方では人殺し(戦争)に神の名前を出して正当化しようとする。

結局、アメリカ人は、罪悪感をすべて神に押しつけ、矛盾には知らない振りをして精神的バランスを取っているんでしょう。

そのうちに破綻するような気がしますが。

では。