続きです。
堀江さんの言うとおり、徒弟制度は安い労働力を確保することを目的にしていたところがあります。
たとえば、商家では丁稚(小僧)から始めて、手代、番頭となり、最終的に暖簾分けといって、自分の店を出させてもらいました。
丁稚の期間は約10年で給料はありません。
雇う方では仕事を教えてやるのだからお金を貰いたいくらいだと考えていたようです。
職人の世界でも、少々異なるにしても基本的な考え方は同じです。
10年間も無償で労働力を利用できるわけですから、なかなか止められません。
だからどうでもいい雑用ばかり押しつけ、必要な技術もきちんとした形では教えず、目で見て覚えろなんて非効率的なことを言うんですね。
さらに言えば、技術を覚えられてしまうと競争相手を増やすことになりますから、できるだけ時間をかけさせたり、厳しい修行を強いてきたのでしょう(暖簾分けの確率が極端に低かったのもそのせいだと思われます)。
もちろん、こうした年季奉公は消滅しましたが、その名残は現代にも受け継がれ、これを美化する人たちが応援しているわけです。
こうした人たちは、すぐに精神論を持ち出す傾向があります。
勿論なにごとに限らず、やる気と根気は必要でしょう。
しかし、だからと言って、それを技術論に絡めることはおかしい。
少なくとも、最低限の技術はきちんとした系統だった方法で教えなければいけません。
これはたとえば音楽や絵画でもそうで、すべてきっちりとした教育理論があり、そのお陰で発達してきました。
もう少し続きます。
では。
徒弟制度的修行に意味があるのか(2)
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