徒弟制度的修行に意味があるのか(3)

20151109074145-d7fa7d0ae39ad5fb1ed0fef1b40287c880a63f9c.jpg続きです。

結局、徒弟制度は特別の才能に恵まれない、普通の人間に技術を教えるための非常に効率の悪いやり方でしかありません。

そして、こうした制度の下では個性が殺されてしまいます。

創造性を発揮することができないか、発揮しようとしても抑えられてしまうことが多いんですね。

大抵の場合、師匠の技術レベルが目標になり、それを極めて非効率的に学ぶために、越えることがなかなかできない。

そう言えば超一流の芸術家で、有名な美食家でもあった魯山人も、型を教えるだけで、味のセンスは教えられないとして、徒弟制度を否定しています。

そして、実際に、自分が開いた究極の美食の殿堂「星岡茶寮」の料理長に22歳で料理歴6年の青年を抜擢しました。

幸いにして、今では料理でもちゃんとした学校があり、近代的な教育が行われていますし、こうした学校を卒業した料理人も増えてきました。

今後は、寿司の世界でも基本的技術だけを学校などで覚え、後は自分のセンスで勝負しようとする人が増えるでしょう。

もちろん、その中でも競争があり、本物が残るだけですが、その時には下積みの修行をしたかどうかは問題にはならないでしょう。

では。