自己正当化の方法 (4)

20160205074439-c70f90d6a7c65e6d09327ff0ea1500bc4342c3c4.jpgのサムネイル画像昨日、書いたようないい加減な終末予言がわりと簡単に信じられるのは、ここにも認知的不協和が働いているからです。

誰でもなんとなく不安に駆られることはあると思います。

しかし、ちょっとプライドの高い人は自分が理性的な人間なのに理由のない不安に駆られていることが納得できないんですね。

そして、姿の見えない恐怖や不安に具体的な根拠を与えるために、不吉な予言を信じようとするわけです。

世界が滅びるとまで行かなくても、人を不安にさせるような悲観的情報が広く流布することがよくあります。

それが多くの人に受け入れられるのは、すでに前もって人々の間に漠然とした不安が広がっている時です。

例えば、非行が増え、悪質化しているという情報はそうした不安と協和的で、それを正当化あるいは明確に表現してくれるから受け入れられる。

非行に対する現在の危機意識は、マスメディアの扇動の結果に過ぎないとは必ずしも言えないんですね。

マスコミがいくら騒ぎ立てても私達の側に共鳴するものがなければ深刻に受け止められることはないのですから。

ここでちょっと視点を変えます。

相手と意見が合わないというのも認知的不協和になります。

たとえば、気が利いたつもりの意見が不評だった時、「あいつらはバカだから」と自分の説得力不足、思考力不足を棚に上げて反省しないんですね。

また、ある分野に通暁している専門家は、他の分野ではただの素人なんですが、偉くない自分を認めまいとする認知的不協和が働くため、自分が知らない分野の情報を軽視することがあります。

自分を過信し、知らない分野をくだらない分野だ、くだらない学問だと切り捨てようとします。

インターネット犯罪の報道を聞いて、「ああ、だからネットに入らなくて正解なんだ」と自分を安心させる機械音痴も認知的不協和の例です。

これらはよく陥り易い罠なのですが、自覚することで脱出することができます。

できれば自分の考え方や行動を時々顧みる習慣をつけた方がいいでしょう。

あと少しで終わります。

では。