日本語の豊かさ

20160516184451-9726f294e5bb29997504996e0f536ae5cecab6db.jpg少し前のことですが、芋洗坂係長に良く似ていると言われたことがあります。

最近余り見ませんが、知っている人は知っているでしょう。

しかし、思ったことをそのまま口に出す素直な人って本当にいいですね(殴ったろか)。

ただし、にこやかに見えるかも知れませんが、実は私はもの凄く偏屈で気難しいんです。

日本語なんかでも気になることが多く、嫌いな言い回しが沢山あります。

われながらぎこちない入り方だなあ。

たとえば、「ナニワの○○」ですね。

大阪でちょっと目立った人を紹介する時には、必ずといっていいほどこう言います。

「ナニワのロッキー」、「ナニワのエジソン」、「ナニワのモーツァルト」等々、枚挙にいとまがありません。

なんと言うか、あまりにも安易で、安っぽい感じがします。

イメージを手軽に伝えられるから便利なのでしょうが、その人が持っている個性を無視し、一定の枠にはめてしまっている。

普通の人が会話で使うんだったら、まだいいですが、テレビや新聞、雑誌なんかでこの言い回しがあるとうんざりします(というか、メディアが率先して使っているような感がありますが)。

もう一つの嫌いな言い回しは、「たかが○○されど○○」ですね。

これもよく使います。

そして、大抵、みなさん上手いこと言ったみたいな表情を浮かべます。

確かに、最初に聞いた時はなかなか気が利いていると思いました。

しかし、今では手垢が付き過ぎていて、おもしろくもなんともありません。

といって、慣用句としてはちょっと色がつき過ぎている感じがします。

少なくとも私は使う気にはなりません。

長くなるので、(この文章は本当にかなり長くなる予定です)続きは明日。

では。