昨日の文章の補足です。
人は誰でも本来の自分と表に出ている自分との間に落差があると感じています。
多くの場合、折り合いをつけてこの落差を受け入れるのですが、それができない人たちもいます。
こういう人たちが自分探しをするわけです(整形手術も含む)。
ところで、この落差自体は勘違いではありません。
人の本質はダイアモンドのように多面体で、相手によって、また、状況によって、見える面が異なります(見る角度によってダイヤの輝き方が違うようなものです)。
この多面体は、表に出ている自分が知っている部分、自分が知っている隠された部分、そして、隠された自分自身も知らない部分から構成されています。
表に出ているのは氷山のように一部分でしかないんですね。
そして、この隠された部分にこそ、自分の本来の姿があると考える人がいます。
こうあるべき自分、こうでなければいけない自分をそこに見ようとするわけです。
ありのままの自分でいるために。
昨日書いたように、それは「ありのままに」とは違うと言っても、彼らの心には響かないでしょう。
幻想であるとしても、彼らにとっては真実だからです。
彼らが自ら気付くか(難しいでしょうが)、心を充たす別のものを見つけない限り、自分探しは終わることはないでしょう。
では。
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