『お札』と書いて「おふだ」「おさつ」と読む。
皆様はどちらの読み方をされたでしょうか。
今回は、どちらにもつながる話。^^
先々週だっただろうか日経新聞夕刊土曜のプロムナードに
とても興味深い内容のものがあった。
作家のいしいしんじ氏が書かれた
『聖徳太子が飛んでゆく』という題の記事だ。
彼の経済持論からの紙幣のお話である。
うまく表現できないのだが、簡単に内容をいってしまうと
紙幣は、欲望という魑魅魍魎に耐えうる不気味な顔が
ついてたほうが力があり、経済が活発になるという内容である。
それを聖徳太子らの気味悪い顔だった紙幣の頃は好景気、
怖くない顔の福沢諭吉などに変わったらおかしくなり低迷。
そして最近、聖徳太子に匹敵するほど不気味な顔の樋口一葉が
登場してから経済が少しだけ上向きなったと
例にだして説明していた。
しかしそこで一番興味深かったのは、
紙幣の存在についての筆者の持論のところだ。
筆者いわく
紙幣の「幣」は神官がお祓いでつかうあの
ひらひらのシャラシャラで
「お札(おふだ)」で「祓う」
「お札(おさつ)」で「払う」
のように「祓う」と「払う」は根が同じとのこと。
人やものについた因縁や宿業を、お札=おふだで「はらう」
ことで、円滑な商品交換を成立させてるのが
貨幣経済の基本原理とも書かれていた。
そんなことをひっくるめてね、私が思ったこと。
ここからは私の持論。
陰陽師じゃない、私達がやりやすい自分のお祓い、
ようは厄落としというのは、お金を使うことだということ。
それも物や楽しみと引き換えではなくてね。
例えれば、募金や寄付かな。
ビル・ゲイツ氏など儲けている有名な方が
いろいろなところに寄付して(ようは「払って」)
人の妬み嫉みなど「祓っている」のをみればわかると思う。
また財布をおとしてしまうのも一概に不幸ではないのかも。
厄落としとも言うときあるから。^^
お札は必要以上にありすぎたら、あの昔懐かしの映画『霊幻導士』の
お札を貼られたキョンシーのようになってしまうのかも。
(キョンシーはお札を貼られると自分の思いとおりに動けません。)
私も、日頃はお札を大事にしつつ
「はらう」とき!と感じる時は払おう♪^^
というわけで皆様の日々の参考にしていただければ幸いです☆
※今日のお題つながりで、私のHPのリンクに募金団体を
載せておきました。私が気軽にやってることです。
「今日のメッセージ」も毎日更新中。またみてくださいね☆
いつもお読みくださりありがとうございます^▽^
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