20170524075753-2fe160d935e119e58945e81ea4c780e81b61a292.jpg昨日の続きです。

今日は「らぬき言葉」についてです。

まあ、アナウンサーでなくても、これに拒否反応を示す人は多いでしょう。

かく言う私もその一人で、私自身は使いません。

歳も歳ですからね。

しかし、いろいろ調べて見ると必ずしも「らぬき言葉」を使用しないほうがいいとは言いきれないようです。

もちろん、「文法的に誤っている」との指摘は間違いではありません。

しかし、次のような反論も見られます。

助動詞「られる」には、受け身、自発、尊敬、可能の4 つの意味があります。

だから、「見られる」とか「食べられる」という言葉を聞いたり読んだりしたときは、 その 4 つの中のどの意味になるのかを文脈から判断しなければいけないわけですが、しかし、これは聞き手・読み手にとって負担になるし、 また、文脈から判断つかない恐れもあります。

たとえば、「先生はその料理を全部は食べられなかった」は尊敬でしょうか、可能でしょうか。

これに対して、「ら抜き言葉」は、可能の意味にしか使いませんから、意味は明確です。

そして、将来、可能の意味がもっぱら「ら抜き言葉」で表現されるようになれば、「られる」から可能の意味がなくなっていくでしょう。

これは言葉の進歩なんですね。

否定する理由はありません。

ついでに書いておくと、「ら抜き言葉」が歴史的に使われている地方もあるそうです。

ですから、「ら抜き言葉」を間違いと決めつけて、子供に使用を禁じるのはあきらかにおかしいでしょう。

では。

20170523075710-4fd9f535f0f40125e4294052815345a7b1a3e954.jpg好感度№1とされている男性アナウンサーが、自分の子供だけではなく、子供の幼稚園仲間にまで、アクセントの間違いをただし、「らぬき言葉」を使わないように指導すると得意そうに言っていました。

まあ、彼にはアナウンサーとしての自負があるんでしょうが、自分の考えをそんな風に子供たちにまで一方的に押しつけるというのはどうでしょう。

まず、正しいアクセントの問題ですが、いわゆる標準語のアクセントが絶対に正しいと思っているんでしょうね。

しかし、前に書いたとこがあるんですが、「標準語」なんてもう通用しないんです。

「共通語」と言うようになっています。

「標準語」は中央集権的な考え方から生まれたもので、明らかに地方(この言い方にも東京の傲慢な考え方が表れているとの意見もあります)を見下しているからです。

もちろん、明治の始めの頃には、東京に集まった日本の各地方の人々が、方言のためにお互いに意志の疎通ができないという問題があり、標準語が生み出され、普及が図られたことはよくわかります。

必要なことだったのでしょう。

しかし、標準語は教科書用のことばですから、本来、アクセントはないのです。

それがラジオ放送が始まり関東型のアクセントがいつのまにか東京の言葉が標準語だと誤解されるようになったのです。

関東型のアクセントが絶対的に守るべき標準だと考えるのはもう止めたほうがいいでしょう。

地方分権だの地方創成といったことを言うのなら、言葉も尊重するべきです。

長くなったので、ら抜き言葉の問題は明日取り上げます。

では。

20170522071847-b29e6075a50963ea6716d6e1c52c75bc889f8062.jpgあるテレビ番組で手紙(礼状)の書き方のマナーを紹介していました。

なんか毎度マナーに文句を言っているような気がしますが、やはり気になるので取り上げます。

礼状は相手を立て、自分をへりくだることが基本なので、相手の名前は真ん中より上に、自分の名前を下に書くのだそうです。

そして、「私」という字がどうしても便箋の真ん中依を上に来る時には字を小さく書く。

ううむ。

ずいぶん馬鹿らしいような気がしますが、このルールは誰がどのような根拠に基づいて決めたのでしょう。

そして、それがいつから誰もが従うべき規則になったのでしょう。

謙譲の美徳はわからなくはないですが、もういいでしょう。

いつまでも古い価値観に縛られる必要はありません。

特に目上だの目下だのいい加減にして欲しいと思います。

同じ人間として、相手に対する尊重の念が伝わればそれでいい。

それから、横書きのメールでも相手の名前は左に、自分の名前は右に書かなければいけないと言ってましたがなぜでしょう。

横書きだと左の方が偉いのでしょうか。

これも根拠がまったくわからない。

ついでに言っておくと、このマナーの先生は「重複」を「じゅうふく」と言っていましたが、そこまで細かいことを言うのなら、ここは「ちょうふく」と言わないと。

まあ、手書きの手紙なんてこれからはさらに廃れていくので、こんなマナーはまったく必要なくなるでしょうが。

では。

20170521063440-043b06ab32e4b5b7b6c85c3ab58f3e44e3f4e285.jpg昨日の続きです。

短期留学にしろ、長期留学にしろ、言葉を身につけるためには、勉強の仕方が大切なのです。

たとえば、短期留学の場合は語学学校に通うと思いますが、クラスには外国人しかいません。

そうすると英語(話を簡単にするために英語学校にしておきます)で話してもたどたどしかったり、間違っていたりします。

さらに、日本人は仲間だけでかたまる傾向があるので、日本語でばかり話すことになってしまいます。

これでは言葉が上達するわけがありません。

また、昨日も書いたその国のガールフレンド(またはボーイフレンド)を作るという話もあまりあてになりません。

たとえば、パリに居た時に、フランス人と結婚して15年になり、子供も2人いるのに、ほとんどフランス語ができない日本人女性を知っていました(本当にどうやってコミュニケーションを取っていたのでしょう)。

それに、恋人同士の会話はいわゆる日常会話ですから、ハイレベルの英語を覚えることはできません。

当然のことを言うようですが、仕事で使えるような英語を覚えるためには、やはり本気で勉強しないといけないということです。

これは短期留学では無理でしょうね。

まあ、留学自体は日本以外の国を見るという意味では決して悪いことではありませんが、語学的なことではあまり効果を期待しないほうがいいでしょう。

では。

短期留学の罠

20170520074533-a344cd03281f1f3c6c9850433866bb65b58d2dd8.jpgけっこう高齢のある女優兼歌手が外国人とコミュニケーションを取る時に、最初は通訳を通していたが、自分の気持の細かいところが伝わらないような気がしたので、英語を勉強することにしたと言っていました。

結構よく聞く意見ですね。

なんとなく理解できるような気がするでしょう。

しかし、実際には勘違いですね。

人にもよりますが、普通、通訳はプロで何年または何十年も勉強し、また、普段から英語(またはその他の外国語)に触れています。

それを素人が短い期間勉強しても同じレベルになれるわけがないでしょう。

それでも自分の口から出る言葉だからと思うのかも知れませんが、そんなのは単なる自己満足ですね。

まず間違いなく、通訳を通すよりも気持は伝わりません。

上記の女優はニューヨークに半年ほど留学したそうです。

センテンスはしゃべれるようになったとのこと。

しかし、その程度では、簡単な意志は伝わるでしょうが、気持のあやまでは無理でしょうね。

残念ながら、半年程度の留学では何も学べないと思ったほうがいい。

多くの日本人は外国語を話す人をやたら持ち上げるわりには、半年も住めばその国の言葉を習得できると考えています。

ついでに言うとその国でガールフレンドを作るのが一番だとの根強い意見もあります。

申し訳ありませんが、言葉というものを過小評価しているとしか言いようがありません。

続きます。

では。

20170519085601-2630e1df477e501582bd98fca74c66f7e2a526d2.jpgある雑誌の記事の「お笑い芸人がMCやコメンテーターを務めたり、専門外のタレントが時事ネタを語ることに違和感を覚える。一般論ばかりでがっかりする」との意見が一部で話題になっています。

これについて、テレビ番組で一般市民や当の芸人等に意見を求めていました。

賛成派は、専門家同士で話すよりも意見が多様化して議論が深まるとしています。

確かに最近は沢山の芸人やタレントがテレビでコメントしています。

しかし、芸人であろうが、タレントであろうが、さらには一般人でも鋭い切り口の見方の意見が述べられるのなら何の問題もないでしょう。

一般論ばかりと言ってるとのことですが、それは他の評論家だの、学者だのも大した違いはないんじゃないかな。

大体、鋭い意見なんて言ってももともとあまり期待はできないんです。

テレビで述べられる意見には、あらかじめテレビ局のフィルターがかけられています。

視聴者に嫌われるような考えは発表できないようになっているわけです。

だからいつもぬるま湯のような、予定調和のような意見しか聞けないんですね。

それならば、誰がコメントをしてもいい。

いつも言うようですが、もうテレビはオワコンですから、好きなようにして、そのまま消えて行くだけばいいでしょう。

では。