ラストエンペラー その1

13563.jpg*本プログのラストエンペラーではありません!
コンスタンティヌス1世の像です。

この言葉を聞くと 多くの方が中国最後の王朝(清朝) 愛新覚羅 溥儀皇帝を思い浮かべるかもしれませんね。
しかし、私にとって”ラストエンペラー”とは 四世紀後期に東西に分裂したとは言え ローマ帝国最後の皇帝”コンスタンティヌス11世です!

皆さんもよくご存知のユリウス・カエサルの甥アウグストゥスが、ローマ帝国初代皇帝となり約二百年後 巨大に成りすぎた帝国は四統括され四人の皇帝が帝国を治めるようになりました。
今でもヴェネティアのサンマルコ広場には、仲良く肩を並べる四人の皇帝の像を目にする事ができます、、、が、実際はそんな甘いものではなく 各皇帝が権力を我がものにしようと虎視眈々とチャンスを狙っていという まさに帝国は内乱状態!

そんな中、現ドイツの最古の都トニーアに父の跡を継ぎコンスタンティヌスが皇帝となった。
この若く勇敢な青年皇帝は 並外れた行動力、洞察力、カリスマ性は勿論 神の導きによってローマ帝国唯一の皇帝となった!
なぜなら 彼は キリスト教徒である母へレナの影響を強く受けていた。
十万の兵を持つ敵に対し 彼は四万の兵を引き連れ戦いに挑んだ。
いよいよ開戦という時に 彼は空を見上げ”光の十字”を見た。また彼の夢に十字架を持ったキリストが現れ”汝これにて勝利せよ”との啓示を受けたそうだ。
彼は 己の勝利はキリストの導きであったと強く信じ、ローマ皇帝最初のキリスト教徒となり キリスト教の布教に尽くした。

*なんとも 運も実力のうちと言うが、奇跡もそうなのか・・・と 凡人の私はあらためて感心する話である。

ローマ帝国唯一の皇帝となったコンスタンティヌスは、帝国の統一という偉業を成し遂げだけで満足しなかった。
当時、東方にササン朝ペルシャが勢力を増し西へと領土を拡大させていた。
コンスタンティヌスは英断を下した! 
彼は ローマを離れ 当時のビザンチウムへ都を移したのである。
その街は 彼の名をとりコンスタンティノープルと呼ばれるになった。
こうして 後に東ローマ帝国と呼ばれる首都が誕生した!

コンスタンティヌス1世より 1100年の時が流れ、、、

ここまで読んでくださった方、お疲れ様です! いよいよ 本プログのラストエンペラーの登場です。
だがしかし ちと疲れたので続きはまた後日。。。