童話は残酷だ

20160224081538-d832cd70ec9705630b4dc2aa14fe81da7229f742.jpg昨日の話題に何となく続いているんですが、最近は幼稚園なんかの学芸会の芝居で全員が主役を演じるそうです。

たとえば「桃太郎」だったら全員が桃太郎で、おじいさんとおばあさんは先生がやります。

犬、雉、猿は勿論、立木といった本当の端役もありません。

それで昔話をこんな風に変えるなんておかしなことだと批判する声もよく聞きますが、昔話やお伽噺を当たり障りがないように改変するのは昔からやっていることです。

元々、昔話は大抵物凄く残酷なんです。

たとえば「かちかち山」なんかタヌキがおばあさんを殺して、ばばあ汁にしておじいさんに食べさせます。

完全にホラーですね。

その後も、今度はおじいさんに同情したと称するウサギが、あだ討ちだと言って、タヌキに火傷させ、そこにカラシをすり込み、舟に乗せて溺れ死なせる。

もう目茶苦茶というか、本当に酷い話です。

これではあまりだと言うんで、今では何の刺激もない話になってしまったわけです。

ついでに言えば、最近人気の「桃太郎」は鬼をみんなで苛める話で、しかも宝物を勝手に獲っていきます。

理由はどうあれこれは犯罪行為でしょう。

相手が犯罪者であっても、殺して財産を奪うなど許されることではありません。

また、他の昔話でもみんな気が優しかったり、良いことをしたから宝物を貰ったりします。

棚からボタ餅と言うか、他力本願で正当な努力で得られたとは言いがたいですね。

要するに昔話はもともと道徳的なものではないんです。

だから、現代版で全員が主役になっても大した違いはないでしょう。

話を元に戻すと、親が自分の子供が主役を演じて欲しいと思うのは仕方がないと思います。

誰だって自分の子供が木の役なんかを与えられて、悲しい思いをするのを見たくはないんですから。

幼稚園側もある子が主役で他の子が端役である正当な理由を説明できないでしょうし。

なんだったら幼稚園で芝居なんか止めればいいんです。

大体どういう意義があるんでしょうか。

まあ、それはいいとして、ただ、子供に暴力場面を見せるなとかも同じだと思いますが、こうしたいわゆる「温室育ち」では、大きくなって世の中の不条理や残酷さを目の当たりにした時に耐性ができてなくて困るかも知れませんね。

では。