一見、ツイテないことが起こるとき

22888.jpg前回ブログでコメントをくださった方が
経験したように、災難を受けないように、
足止めで起こることもある。

でも、それ以外もあるようだ。

またディープな話だけど…

私は学生の頃、人間関係に悩み過食症になっていた。
それで気持ちが朦朧としていたかもしれない。
雪がちらついていたので、前が見えづらかったのもある。
バイクに乗ってた私は、前方の車が急に止まったことに
すぐ気づくことができず、そのまま車に衝突してしまった。

半年、入院をした。

一見、ツイテないことである。
しかし、これがきっかけで沢山のことが変わった。

まず、過食症。
半年入院するような怪我なので当然寝たきり。
動けない。だから余分なものを買って食べたりできない。
それ以上に、怪我の痛みに耐えることで頭がいっぱい。
病院内はしっかり食事が管理されている。
時間も規定どおり。規則正しい生活。

治った。

そして過食症の原因となっていた人間関係。
お見舞いにきてくれた友人、知人、親の気持ちに触れた。
そこで自分が勝手に勘違いしてたこと、心の中に塀を
作ってたこと。自分の考えに固執していたため、
それぞれの愛の形を理解ができなかった自分に気づいた。

それから退院してから半年間、松葉杖だったので
自由に動くことができなかった。
当然、人に頼んでしてもらわないとできないことがある。
人に何かを頼むことが苦手な私だったが、
それをせざるを得ない環境だったので、否応なしだが
それを克服し、人に感謝することを学んだ。

そういうやりとりの中、自然に人との接し方、
距離の保ち方、気持ちの察し方もわかるようになった。

そして最終的に、怪我も心も改善への道に向かった。

一見、ツイテないこと、不幸なことは
それぞれの人生において、気づいてほしいこと、
学んでほしいことがあるためにも起こるようである。

これまでの生き方を「ちょっと考えなよ〜」って
知らせにきてるのかもしれない。