なんとなくテレビを見ていると人工知能をテーマにした番組をやっていました。
それで出演者の1人に僧侶がいて、「人工知能に悟れるか」との質問を科学者にしたんですね。
ありきたりと言えばありきたりの疑問です。
しかし、こうした質問をするのなら、まず悟りとは何か、どのような条件を満たせば悟りを開いたと言えるのかをはっきりと示さないといけません。
あいまいな質問でまともな回答を得られるはずがない。
仏教の専門家であるはずのこの僧侶は悟りの定義をきちんと説明できませんでした。
もともと真剣に考えていたわけではないんでしょう。
そう云えば、これは別の番組ですが、人工知能にお笑いは可能かといった疑問が出されたこともあります。
これも出演者の芸人にあなたのやっていることは人工知能でもできるし、将来は仕事がなくなるよと揶揄することが目的だったようで、真剣に考えるつもりはなかったようですが。
笑いなんて人間の感情に根ざしたものを、過去のデータをすべて収集、整理、分析したところで、新しいものを生み出すことは不可能です。
結局のところ、人工知能の問題は創造性にあるわけで、まず、人の本能や感情、気持などを徹底的に解明しないとこの創造性を理解することができません。
さとりやお笑いは派生的な問題です。
いずれにしても人工知能の話になると、不必要に不安をあおるような傾向ばかり目に付きます。
これではいつまでたってもまとな議論はできないでしょう。
では。
人工知能と悟りそしてお笑い
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