一所懸命いう熟語がある。
そのむかし、武士がただ一カ所の領地を死守して生活の頼りとしたという。
一カ所に命を懸けたので、一所懸命になったわけだが、後に一生懸命が一般的に使われるようになった。
また、一生懸命の方が意味合としてもしっくりするし、一所懸命というと違和感を感じる人も多い。
また「必死に生きる」という表現も、懸命と同様に生死に関わる言葉だ。
オリンピック選手を見れば分かるが、普通の生活をやって来て出場できるほど甘い世界ではない。
日々命がけのトレーニングを積み重ねた結果、栄冠を手にすることができるのだ。
フランスのクーベルタン男爵が「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」と発言したことは有名な話だ。
メダルをとるに越したことはないが、努力をしても参加すらできない人たちからすれば、参加できるだけでも意義があるのではないか。
競技をしている選手たちの姿は美しい。そして多くの人々に感動を与える。
それは、彼らが命がけで闘ってきたからではなかろうか。
日本の通算500個目の金メダルを獲ったのは柔道の角田夏実選手で、48キロ級に減量するために過酷なスケジュールをこなしてきたという。
食べたいものも食べられない、死に物狂いで自分との闘いに勝った結果だ。
その人の生き様が、他人に対して勇気や希望や感動といったものを与えることができてこそ、価値ある人生ということになる。
人は自己中心に生きても意味がない。それは愚かな人間の生き方だ。
賢明な人は懸命に生きる道を自ずと選ぶものである。
k-3103
一生懸命が中途半端だと良い判断が出来ないのかもしれないですね。
子供がいますが、子供には努力を進めるのに自分はやりたいと思うことに全力なのか、、、
考えさせられます。
田村祐碩からk-3103への返信
k-3103さん。コメントありがとうございます。
子供には子供の個性がありますので、まず何が一番その子に合っているのか、どんな才能を持っていてどんな分野で活躍できるのか、等を親が知っておかなければなりませんね。
そうすれば、おのずと進路も見えてくると思います。
目的、目標が明確にならないと、一生懸命努力をすることもできません。
子供の場合は、とりあえず好きなことに熱中させることが大事だと思います。
何よりも大切なことは、親兄弟、友達との豊かな心情的関係を築くことではないでしょうか。
TAKA
オリンピックが始まり「一生懸命」という言葉を日常的に意識するようになりました。
昨日2回戦で敗退した阿部詩選手の号泣もどれだけ死に物狂いで頑張ってきたかがわかるような気がします。
自分なりに日々頑張っていることでも「一生懸命」かどうかと問われるとまだまだのような気がしました。
暑さと忙しさに心を亡くしてしまわないよう、自分の進むべき道を懸命に努力して行きたいと思います。
田村祐碩からTAKAへの返信
TAKAさん、コメントありがとうございます。
阿部詩選手の号泣を私も見ました。
あれほど泣いた選手は過去にいなかったのではないかと思います。
兄と一緒に金メダルを狙っていただけに、悔しさは筆舌に尽くせないものがあったに違いありません。
ちなみに彼女の当日の運勢は「比肩」で、ミスや失敗をしやすい日でした。
試合は優勢だったにも関わらず、敗けてしまったのも、この星が影響してしまったのかもしれません。
どんなに実力があっても、勝負は時の運というものがあります。