こんにちは。

いつもありがとうございます。

今日は、何回とりあげても、足りるということはない、被害者意識についてです。

特に、毒親に育てられたという方、、、

もう「毒親」という言葉が出ている時点で、親が悪くて自分は悪くない、という解釈なのですが、

毒親育ちの方は、極端に自分が悪い、と思い込んでいたり、反対に親を絶対許せない、と

思い込んでいるケースが多いです。

自分が悪いと思い込んでいるケースは、その思いこみをゆるめて、自分は悪くなかった、

親のために生きていくのが当然という思いを、自分のために生きていいのだ、という方向に

修正する必要があります。

そして、親が悪い、親のせいで自分は一生不幸だ、と思い込んでいるケースについてですが、

これは、被害者意識を一生もち続ける可能性が高いです。

だって、親は自分を幸せに育ててくれるべきだったのに、そうでなかった、、、のですから。

そこを一生責めることができます。親を許せないことが多いです。

このままの思いで、誰かと結婚すると、今度はパートナーに対して同じような態度をとることも

あります。

私が不幸なのは、夫が私を幸せにしてくれなかったせい。(だって夫は私を幸せにするべき!)

あるいは、自分を癒すべきと思っている存在(ヒーラー、カウンセラーなど)にその思いが

向けられることがあります。

自分を幸せにしてくれそうな相手への期待がすごく高くなってしまうのですね。

期待が高い分、期待通りでないときの怒りも大きいですし、自分はまるっと赤ちゃんの立場に

なっているので、自分の感情の責任は一切とりません。

あくまで、「誰か私をなんとかしてよ!」というスタンスなのですね。そうはいっても

誰もなんとかしてくれないことが多いので、被害者意識まっしぐらになります。

これは一番ストレスがたまりやすい生き方と言えるでしょう。

そして、とても自分を傷つける生き方です。

たとえ毒親に育てられて、子供の頃に生きづらさを身につけてしまったとしても、大人になったら

それを修正する責任は自分にあります。また、自分の状態に100%責任があるのは自分です。

その責任に気付けるかどうかが、被害者意識の方のターニングポイントになるのでしょう。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

台風が来ていますね。

お盆の中、交通機関など、いろいろ影響があって大変な方もいらっしゃると

思います。気をつけて移動されてください。

個人的には、台風は自然がいっきにいろんなことのバランスをとってくれている気がして

すっきりするので大好きです。

バランスと言えば、何回もとりあげている被害者意識というものがあります。

「悪いのは全部、環境や他人のせい。自分は悪くない。」

他人への怒り、恨みが発生しやすく、他人への攻撃にもつながります。

これは、いろんなところでよく取り上げているので、ご存知の方も多いと思います。

でも、あまり語られませんが、加害者意識、というものもあります。

被害意識の反対です。一見、自分が物事の責任をとるという姿勢はよさそうにも

見えますが、ポイントは、「過度に」自分が責任を感じているところです。

「悪いのはみんな自分のせい。すべて自分の責任。私が〜していれば、、」

自分への怒り、悲しみにつながり、自分を過度に責める傾向があります。

これは、どちらも、バランスを欠いています。

被害者意識の人は、自分の間違いや問題点をみようとしませんし、自分優先で

他人を大切にすることはできません。

加害者意識の人は、他人の間違いや問題点まで、自分の責任にしてしまい、

罪悪感があるので、自分を大切にすることができません。他人優先になります。

そして、どちらもとても感情的に、自分、または相手を責め続けてしまうので、

客観的に状況や、本当はどちらに責任があるのかを見極めることができません。

要は、視点がすごく偏っていて、バランスが悪いのですが、そこには気がつかないのです。

どちらが悪いでもなく、どうしようもないこと、という視点があるのですが、

それも見えません。

ここからここまでは、自分の責任、ここからは、あなたの責任、

これは、どちらが悪いのでもなく、どうしようもないこと、など見極め、

感情的にならず、冷静に各々が改善できるところは改善する、ということが出来れば

よいのですが。

ちなみに、最悪の組み合わせは、過度な被害者意識と、過度な加害者意識の人が

一緒にいることだと思います。

あなたがすべて悪い!→そう、自分が全部悪いんです、、となり、

バランスが崩れたままの苦しい状態で、ぴったりはまってしまうのです。

自分たちの状態に疑いをもてないので、ずっと苦しい状態が続くことでしょう。

何事も、バランスは大事です。

よいお盆をお過ごしくださいませ。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

そろそろお盆だったり、夏祭りの季節ですね。

女性は浴衣を来て出かけるかもしれません。

ちょっとここでフィクションとして書きますね。

ある女性が彼氏とデートに出かけて歩いていたら、彼氏が他の浴衣の女性をみて

振り返ったとします。

ここで、もうそれだけで、彼女がすごく苦しみ出す場合があるんです。

彼氏が他の女性を見た→私よりもあの人の方が魅力的なのかも→

彼氏は私といても幸せじゃないんだ→ほら私はやっぱり愛されない、私には価値がない、、、

とたんに胸がナイフで刺されたように痛くなり、、

そして不機嫌になって彼氏を責めたりすると、ケンカになり、、、

でもこの女性の苦しみって、自作自演だということがわかりますか?

彼氏は何も言っていないんです。「君よりあの子の方がいいな。君には価値がないよ。」

なんてことは、一言も言っていないんです。

では、何が彼女の苦しみを作っているのか、それは、もともとあった【自信のなさ】です。

【自分は価値がない】という思いです。

もともとそういう思いがあると、彼氏がちらっと他の女性を見ただけで、

彼女の中に反応がおこります。自分に都合の悪い、様々な意味づけ、解釈が繰り広げられます。

そして、彼を勝手に加害者にして、自分を被害者にして、苦しむ。

自分の胸をナイフで刺しているのは、彼ではなくて、彼女自身なのです。

もし、彼女に自信があったら、どうでしょう。自分は価値があると思っていたら、

どうでしょう。

彼が誰を2度見しようが、あまり気にならないでしょう。

自分が苦しくなるような反応は起こりません。

もしかして、「あの女性の浴衣の柄いいな」なんて思うかもしれませんが。

自分を下げるような感情は発生しないでしょう。

ですから、ケンカにもなりませんし、デートを楽しめたことでしょう。

私たちは、日常の中でこのような自作自演を、無自覚にたくさんやっています。

なんだか相手にハラが立つとき、相手を加害者にして勝手に傷付いているとき、

自分を苦しめているのは、相手ではなくて、自分の中の意味漬け、解釈です。

【自信がない】【自分には価値がない】というベースの思いにのっとって

ほらやっぱり! というような解釈を瞬時につっくけます。

そして、その解釈を信じきっているので、まったく気付きませんが、自作自演なのです。

【彼女劇場】の中では、彼がちょっと他の女性を見ただけで、

彼女は彼氏に裏切られた可哀想な女性になっているというわけです。

ここで、自分が彼に捨てられて生きていけなくなるところまで、一気に想像できる場合も

あります。それも、彼女のイメージでしかないのですのが、彼女の中では

すごいリアリティがあります。

彼がちらっと見た、知らない女性が自分を不幸にした、とさえ思い、

恨むことすらあるかもしれません。

彼女は、脳内で起こっている【私ってなんて可哀想な女】になりきってしまっていて、

先週、彼氏がごちそうしてくれたディナーも、やってくれたことも、

すべて消し飛んでいるのです。

これは、とても冷静に自分を見るとわかるのですが、

彼女の心の中で起こっただけの自作自演です。

☆☆☆

皆様の夏のデートが、楽しいものでありますように。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

皆様、誰しも憧れの人、好きな人はいらっしゃると思います。

あの人の○○なところがいいな、とか

あの人には○○があって、自分にはない(がっかり)、と感じることもあると思います。

私も少し前、とても惹かれる人がいました。

自分にとって、とてもとても必要な人、と感じていました。

相手の持っている資質に惹かれていたのですが、

私にはない(と思っていた)ものを、持っている人だなあ、と思っていたのです。

実際にはあまり関わることは出来ない人だったので、私は勝手に

その人になったつもりで、その資質があるつもりで動いてみたりしていました。

その人のよいところを見習う感じです。

そんなことをしながら、かなりたった頃、

自分の中にその資質(私にはないと思っていた)が育っていることに気付いたと同時に、

その人が、私にとって普通の人、になっていることに気付きました。

それまでは、すごく見上げていたということです。

その人が私にとって普通の人に見えていることに気付いたのと同時に、

その人がそこまで必要でなくなっていることに気付きました。

もちろん今も好きですし、感謝しているのですが、

相手が私にとって、普通の人(特別でなく)になった感じなのです。

これは、面白いなあ〜 と感じた体験でした。

誰かに惹かれるとき、やはりそこには理由があるのだな、ということを

実感できました。

もし、私が、相手の中にあった資質を自分にはない、と思ったままだったら

相手のすごく近くにいくとか、関わることに執着してしまったと思います。

でも、見よう見まねで? その欲しい資質を自分の中に育てようとしたお陰で、

相手の方は必ずしも必要でなくなったのです。

自分にはない、できない、と思う資質でも、

いいなあ〜 と思うということは、実は自分の中に小さな芽があるのだと思います。

この世には素敵な人がたくさんいます。

いろんな人を見習わせていただきたいな、と感じる今日この頃です。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

それにしても、今年の夏は暑いですね、、!

そして、そろそろ8月6日、、、

テレビでもその手の番組を目にすることが多くなります。

私も『この世界の片隅で』や、原爆関連の番組を見ていました。

本当に、戦争は何もよいことはないです。

原爆に至っては、もう言葉がありません。

今、この時代、平和に暮らせることの有り難さを感じます。

普通に買い物が出来たり、今の時代ではごく当たり前だと思っていることが

当たり前でない時代があったということ、

空襲に怯えたり、戦死したりする心配なく、暮らすことが出来て

普通に命があるということの有り難さをしみじみと感じます。

でも、この平和な時代に生きているのに

不幸せな気持ちで生きている人もたくさんいます。

そういう人は、心の中で【戦争】が行なわれているのですね。

誰かを責めたり、許せなかったり、何かを得ようと強欲になったり、

相手の足を引っ張ったり、過剰に心配して不安になったり、、、

でも、それは相手がいるようで、実は自分の心の問題です。

自分の心の問題から、相手に危害を加える人もいます。

それは戦争と同じことです。

苦しみを終らせるのは、ひとりひとりの心です。

あなたの心の中が、平和で幸せでありますように。

心から願っています。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

皆様、身の周りで、ちょっと心配だな、、と思う方などいますでしょうか。

また、遠く離れた子供のことが気になって仕方がない、という親御さんもいることでしょう。

そうすると、つい自分の気持ちも暗くなったままで、その方のことを強く思ったりしませんか?

心配で不安で、気が気でないまま、子供のことを考え続ける...

あるいは、誰かに悪いことをしてしまったな、、という思いのまま、自分を責めつつ相手を思うとか...

ええと、本当は何をしたいんですっけ。

その相手の人が大事だから心配したり、しているんですよね。

でも、これらは、「相手」にしてみたら、エネルギー的にとても迷惑なことになってしまうのです。

誰かに向けて(ベクトルを向ける) 何か思う(思いのエネルギー)というのは、

思ったことを届けている状態です。

仮に、遠くにいる子供さんが、今大変な目にあっているとします。

何か、物理的に必要なお金を送るなどは、役に立つかもしれませんが、

それをせずに、ただただ、親がくよくよ考え、不安で不安で仕方がないだけの思いを送っているとしたら、、

子供さんは自分が大変なときに、親御さんの心の重荷も背負って、さらにとても大変なことになります。

え? と思いますか?

だって、子供さんが感じて心地よいエネルギーでなく、負担になるエネルギーを送っているのですから。

【感情】というのは、とても強いエネルギーになります。

それを意識している人はあまりいないのですが、事実です。

でしたら、無関心の方がまだいいのです。

同じように、片思いも、相手にすごい負担をかけることがあります。

自分がいちばんいい調子のときに、相手の幸せをそっと願う、という思い方なら大丈夫です。

でも、片思いが苦しくて苦しくて、振り返ってほしくて、自分のことを救ってほしくて...

と思いながら、相手を思っていたら、それは相手にとっては、ものすごい負担になります。

結果、その思い方が原因で、相手から嫌われていくことになるでしょう。

それって、相手の幸せや自由を尊重しているのではなくて、自分の苦しみを相手に押しつけ、

お前は自分の思い通りにしろ〜!と

暗く重い気持ちでコントロールしているようなものだからです。

やっていることはストーカーと同じことになってしまいます。

もちろん、エネルギーに対しての感受性の高い低いはありますが、受ける影響は同じです。

では、どうすればよいのでしょう。

自分が持ってる感情、思いは相手に届く、と思ってください。

そのうえで、自分が何を送っているのか自覚してチェックしましょう。

そこに、思いやりがありますか?

いちばんいいのは、あなた自身が幸せで体調もよい状態のときに、大事な人の幸せをそっと願うことです。

心配は負担や不安を増やすだけで、まったく役に立ちません。

あなたが一番いい気分のときに、一番よいエネルギーを渡すことができます。

ですから、まずあなたが明るく軽い、よい気分になってください。

そしてあまりまとわりつかないこと(これは大事です)

恋愛であるなら、相手に本当の【愛】を送っているならいのですが、多くの人は苦しみを送っています。

あなたの重荷を、大事な人に背負わせたいですか?

送っても害がないものは、感謝、信頼、相手の自由を尊重している愛、安心感、などです。

○○してほしい、という思いは、相手の首に縄をつけてコントロールしようとしているのと同じことで、

体感的にも、相手は違和感や負担を感じるだけです。

これは、思いが強い方、エネルギーが強い方はなおさら気をつけないと、知らないうちに加害者になっている

可能性が高いということです。

また、不幸だと思っていること、どうしても、他人からエネルギーを奪おうとしてしまいます。

相手に満たしてほしい、相手の幸せが我慢ならない、など思っていれば、

自分が知らずにエネルギーを盗んだり、相手のエネルギーを下げようとしてしまうものなのです。

あなたが幸せなことが、エネルギー的にまわりの人を自然に幸せにすること、一番の貢献であることを、

覚えておいてくださいね。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

タイトルは、幸せのために、となっていますが、

最近、何が人を苦しくさせるのかを考えている、今日この頃の私です。

実は以前も何回もとりあげていることですので、内容はかぶっていますが、ご容赦ください。

何が人を苦しくさせるか、、、

それはシンプルに、自分が自分のことを受け入れていない ときだと思います。

よく自分のことを愛しなさい、と言われて、日本人の方は違和感を覚えますが、

受け入れる、という言葉で考えてみてください。

出来てる自分、かっこいい自分を受け入れるのは、わりと苦労なくできますが、

自分が自分で受け入れられない部分、そこを否定して自分で自分を攻撃しているとき、

その部分を他人に刺激されると、すごくこたえます。

また、投影として、同じものを持っている相手をみて嫌になります。

失敗しても挫折しても、そんな自分をそのまま受け入れられれば、苦しくはないわけです。

苦しみは、失敗することによって生じるのではなくて、

失敗したときに自分が自分を否定するから起こります。

失敗してもいい、と思っている人は、苦しみはないのです。

自分が存在しているだけでいい と思えるには、

何か出来なくてもいい自分 も受け入れる必要がありますが、

そこが出来ていれば「無条件に」自分を受け入れられます。

言い方を変えると、無条件に自分を愛することが出来るようになります。

そうすれば、実は、誰かに無条件の愛を満たしてもらう必要もありません。

何かをうまく来ない、かっこわるい自分を自分の中から排除しなくてもよくなります。

どんな自分でも否定せず、全部受け入れている、それは、

幸せに生きるための、基本中の基本、だと思います。

※注

これは、優秀とされてきた人の方が難しい作業かもしれません。

今まで、これではダメだ、まだ不十分だ、一番でないと価値がない、

そう頑張ってきた方は、今まで否定してきた自分の部分を受け入れるのは

相当抵抗があることでしょう。

エリートの人の方が挫折に弱い、というのは、失敗を受け入れるのが難しい

ということなのでしょう。

でも、私たちは、部分(自分でよいと認められる部分)の存在でなく、全体(ありのまま)

の存在なのです。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

苦しいことシリーズ その2です。

苦しいことのひとつに、物事が思い通りにならない、ということがあります。

これは、裏を返すと、【物事は思い通りになって当然】と思っているということです。

なんでも思い通りになるということは、一見、よいことのようですが、

要は、思い通りにならないことが耐えられなくなる、ということがあります。

ルソーは、「子供を不幸にするいちばん確実な方法は、いつでも何でも手に入るようにしてやることだ」

と言っています。

ですが今は、わりと多くの子供が、なんでも手に入れられる世の中ではないでしょうか。

そうすると、つい、何事も思い通りになると思ってしまいがちですが、

少なくとも、人間関係は、思い通りにならないことが多いですね。

でも、【物事は思い通りになって当然】と信じていると

相手のことをコントロールし始めるわけです。

そうすると、自分も相手も、もちろん苦しくなってきます。

コントロールゲームになってしまうわけです。

人は支配されることは好みませんから、人間関係はさらに壊れます。

恋人であったら、もう相手に愛は感じません。

親子であったら、子供をコントロールする親は、子供を愛しているのではなくて

子供を自分の何かを満たす道具にしてしまっています。

子供の思い、自主性、自由を尊重していくのが愛です。

子供が思い通りにならないんです、という悩みを訴える親御さんは

そもそも、思い通りになる、ということが勘違いであるところに気付く必要があります。

子供が思い通りにならないときに感じた感情、を自分の中でしっかり抱えて、

自分や相手と向かい合えるのが大人ですが、

たいていは思い通りにならないことにすぐ切れて、自分の感情にさえ気付きません。

思い通りにならなくて切れるのは、赤ちゃんと同じです。

この場合の苦しみは、未成熟さから来ていると言えるでしょう。

相手は、自分を満たす道具ではない、ことを

大人としては覚えておくべきでしょう。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

突然ですが、、

皆様は、苦しみ って好きですか?

ふざけているのではありません。

ときどき、この方は苦しむのが好きなんじゃないか と思うぐらい

同じような苦しみを繰り返すことを、ずっと続けるということを目にすることがあるからです。

それも、好き好んで自分で自分を苦しめる、ということをする方も多いのです。

たとえば、自己否定。

たとえば、罪悪感。

は〜、全く役に立たないな〜と思う行動、思いですが、

これをおおまじめでやっている人が多いのです。

まず、これをしたからといって、何も改善しないことです。

しかも、周りを巻き込んで苦しめることさえあります。

その事実に気付かず、延々と自分を責めたり、罪悪感にひたったりするのは

もう、そうしている自分が好き、というくらいのナルシストです。

自分を罰して、誰かが喜ぶわけでもないのです。まったく無駄です。

また、実のところ、現実に向き合う勇気がないときにも、なぜかこの状態になります。

いつまでもくよくよしていれば、現実的に対処しなくていいからです。

何も改善の行動はしていないけど、

自分のことをダメだダメだ、と言っていれば何か申し訳がたちそうですし、

罪悪感を持って自分を責めていれば、少しは自分のことをよい人みたいに感じることができます。

でも求められるのは、行動! なのです。

ダメだったら、今度は何をすればいいのか、どこを改めればいいのか。

それを前向きに考え、行動することです。それには苦しみはありません。

私はエンパスなので、その人が感じている感情をそのまま感じることができますが、

自分を否定するというのは、某大なエネルギーで自分を押さえつけることです。

ほぼ、自分いじめ、自分への虐待なのです。

そういう人のそばにいるだけで、息が止まりそうに苦しくなります。

はっきり言って、近づきたくないな〜と感じてしまいます。

ただ本人は、そうしていれば何かいいことがあるかのように、おおまじめでやっていることがあります。

苦しい状態、というのは、たいてい役に立たないことをやっています。

苦しみの中でぐるぐる回っているだけで、エネルギーの浪費でしかありません。

では、どうすればよいのか?

ちゃんとできない自分を許し、現状を認め、出来ることを考える。行動する。

それだけです。

永遠に苦しみの中でぐるぐるしている人は、煮詰まって、他人に助けを求めがちですが、

実はその苦しみは、自分で自分を苦しめているだけです。

自分で自分を否定して苦しめているのに、それはやめないで、他人に助けを求めるという

すごく奇妙なことをしてしまっています。

苦しいのが趣味なのでなければ、まず自己否定はやめること。

それだけでも、かなり楽になります。

罪悪感に関しては、自分を責めるということの、非生産性に気付きましょう。

あなたはなにかまずいことをしたと思って、自分を責めているのかもしれませんが、

罪悪感をもつことで、この世にまたひとつ苦しみを増やしているだけです。

苦しみは、何かが間違っている、というサインです。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

ふたつ前の記事で、悩みのおおもとは神からの分離感では、という内容を書き、

前の記事で、神からの愛をを感じてみては、、という意図の記事を書きました。

これでひとりでも、ふたりでも、何か感じてもらえればと思っていたのですが、

神との分離感にどっぷりつかっている人は、自己否定ワールドに住んでいるわけです。

やっぱりそこ(この世は神の恩寵の世界という認識)には至れないという人のために、

違った角度からのやり方を書きますね。

私たちは、なぜか様々な、でも共通している自己否定ビリーフを持っています。

何かが足りない。(不足感)

自分が悪い。(罪悪感)

自分はダメだ。(無価値観)

自分は弱い。(無力感)

自分はひとりぼっち。(孤独感)

すごく簡単にいうと、恐れです。

確かに、幼少時に両親との間に、こんなビリーフを持ってしまうような出来事はあるようです。

様々なセラピーでも、その記憶を思いだし、癒すという作業を行ないます。

でも、その記憶って、ものすごい数があるんです。

それでも、主要な記憶にアプローチすると、かなり今の自分が変わります。

だいたいの記憶の感情は、【ダメな自分】を【否定している】ものです。

ここで、

たいていの人は【ダメな自分】を【ダメだと思ってる】んですね。

え?

ダメなものはダメじゃん! ですか?

まあ、普通はそう思いがちですよね。

でも、そもそも【ダメでもいい】【ダメなのは当然】くらいに思ったら、どうでしょう?

そもそも、全能の? すべてがある? 神という集合体? に比べたら

どんな優秀な個人だって、神にかなうわけはないですよね。

たとえば、何か習い事を始めた子供の初心者が、自分のことをダメだダメだ、、、

と自己否定している図って想像できますか?

何言っているの! と思いませんか?

できなくて、当たり前ですよね。

それと同じように、

私たちは、どんなに逆立ちしたって、神には叶わないし

それが普通だし、そこから始めるしかないですよね。

だから、

【ダメだけど、それは当たり前】【ダメなのが、今の実力】

そして、大事なのは、

「じゃあ、これからどうする?」 という視点です。

これがないと、

自分はダメだ、、というビリーフがあるので、ダメな理由を永遠に探すだけのループに陥るのです。

ほら、○○だからダメだ。

失敗したから、やっぱりだめだ。

▽と比べるとやっぱりダメだ。

ちょっとがんばったけれど、また悪くなったからやっぱりダメだ。

ぐるぐるぐるぐる。。。

ほぼ自己否定の呪いです。

私たちは、

何かが足りないし、どこか悪いし、価値がないかもしれないし、弱くて、ひとりぼっちです。

だからどうしたァ!!!

そこから始めるしかないのです。

大事なのは、いつまでも、自己否定のうずに巻き込まれて、自分のダメさにひたっていることではなくて

ではどうしよう、と考えることです。

この違いがわかりますか?

自己否定って、自己憐ぴんに似ています。

自分のダメさをほとほと嘆いても、何もならないんです。

【自分はダメという呪いの沼】から、抜けられなくなるんです。

自分がダメなことを、まずは受け入れること。

自分がたいしたことないことを、受け入れること。

否定しているから、苦しいのです。

よし、ここからはじめるぞ、と謙虚に思えばいいだけです。

だいじょうぶ、世界の一番優秀な人だって、神には叶いません。

自分の未熟さを認めて、楽しんで体験していきましょう。

「じゃあ、これからどうする?」

これを楽しみましょう。

ダメだから、完璧じゃないから、

私たちは、色々な体験が出来て、変化していけるのです。