こんにちは。

いつもありがとうございます。

あまりニュースに取り上げられませんが、何か月もオーストラリアでの森林火災が大変なことになっていますね、、、

心を痛めている方もたくさんいると思います。

募金のほかに何かできないものか、、と考えている方もいると思います。

せめて祈りを、、と思う方もいると思いますが、

山川亜希子さんのブログで、祈り方についての大きなヒントをいただきました。

https://ameblo.jp/yamakawaakiko/entry-12566335686.html

これは、このような場合だけでなく、実は自分の願い事を祈る場合でも同じです。

作り出したいことをイメージして、実感して感じる、、、。感謝する。

では、逆のこと、(例、恐れていることをずっと感じる など )をし続けるとどうなるのかは

おのずと想像できると思います。

私たちの心は映写機のようなものです。

心にあることが、自分のまわりに映し出されていきます。

いまここでできること、、

あると思います。

あけましておめでとうございます!

2020年、昨年よりも、さらによいエネルギーが天から降り注いでいるような感じがします。

この一年、皆様にとって素晴らしい年になりますように☆

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

新年の動画

懐かしいマイケルから  ~ Heal The World ~

https://www.youtube.com/watch?v=sROlH_bOsUU

いつもありがとうございます。

はやいもので、もう12月、来週はクリスマスですね。

クリスマスというと、何をイメージされますか......?

色々あると思います。

.........

私は、降誕 です。

子供が小さい頃は、毎年、教会で子供たちの降誕劇を見ていました。

だからというわけではないのですが、私にはやはりキリストのイメージなのです。

暖かい、慈愛や希望や救済の光...

聖歌も大好きなのですが、探しているうちに、リベラという合唱団を見つけました。

とても美しくて...おすすめです。

https://www.youtube.com/watch?v=BzaDKky0VgI

世界中の人々が、意味のない諍いや対立などから早く卒業して、愛をもって協力してよい世界を作っていけますように。弱いものへ手が差し伸べられますように。

クリスマスの、私のささやかな野望です。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

今日は人間関係について、、、書きます。

誰しも、いろんな方と関わっていると思いますが、

ところで、皆様はご自分がどうしてその相手と関わっているのか、考えたことがありますか?

(あくまでプライベートな関わりのことです)

私の経験上、なんだかいやだな、、と感じた人間関係というのは、

相手が私を「使って」自分の不安をどうにかしようとしたり、自分を満たそうとしていたとき、

だったように思います。そこに強制があったとき、尊厳や自由を奪われます。

え?そんなの当たり前じゃない、と思った方、^^;

それは「利用」です。愛ではありません。

たとえば、、

親が自分の機嫌の悪さを子供に当たり散らすのも、

親の虚栄心を満たすために、子供をエリートコース以外だめと追いつめるのも、

上司からのパワハラも、

女性や子供を性的に虐待するのも、

不安から恋人を思い通りに動かそうと束縛、支配するのも、

全部、自分の不安を相手を使って解消しようとしているだけです。

道具やモノ扱いということです。

本来、相手には相手の尊厳があり、自由意志があり

相手の人生は相手のものであるのですが、

自分が満たされていないと、つい相手を自分を満たす道具にしてしまうのです。

さらに、相手は自分を満たすべきだ、そこに疑いをもたないと暴力に近づいてきます。

相手はノーという権利もあるし、相手自身を大切にする権利ももちろんあるのです。

ちょっと極論をしますが、

相手を必要としない位になれないと、相手の尊厳や自由を尊重できるようになれません。

相手を必要としない位になってはじめて、相手を愛することができるのではと思います。

相手を愛しているとか、好きなんだ、と言っている人が、

自分のニーズのためにそう言っているとき、それは愛ではなくて

あくまでニーズ、なのです。

下手をすると、いじめる相手として必要、ということすらあります。

誰かをいじめることで、自分の無力感を紛らわすことが出来るということです。

親が満たしてくれなかった要素を当然のように、パートナーに埋めさせようとさせる人も多くいます。

とても微妙ですが、愛玩する対象として相手が必要という場合でさえ、自分の満足ためであり、そのときの相手は道具です。

よく、あなたが必要なんだ、、ということを愛と同義語としていることに疑問を感じます。

相手を使って、自分を幸せにしようとする考え方、、、一見よく行なわれていることですが、

相手への尊重がなければ、利用になってしまいます。

自分は相手を使って、何をしようとしているのか、その目的をよく見てみると

自分のことがよりわかるようになるのでは、と思います。

恐怖や不安で関わっているのか、愛から関わっているのかで、

同じ人間関係でも、起きてくることはまったく変わってしまうでしょう。

このたびの台風被害に際し、お亡くなりになられた方のご冥福を
心よりお祈り申し上げます。

また、被災された皆様、浸水や停電などで不自由な生活を強いられている皆様にも、
心よりお見舞いを申し上げます。

被災地におきましては、一日も早い復興と
ライフラインの復旧が実現しますように祈っています。

大変な状況に絶望的な心境の方もおられると思いますが、そんな時こそ
一人でその思いを抱え込まずに、誰かと言葉を交わすことをおすすめします。

一日も早く平穏な日常が戻ってきますことをお祈り申し上げます。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

今日は、何回とりあげても、足りるということはない、被害者意識についてです。

特に、毒親に育てられたという方、、、

もう「毒親」という言葉が出ている時点で、親が悪くて自分は悪くない、という解釈なのですが、

毒親育ちの方は、極端に自分が悪い、と思い込んでいたり、反対に親を絶対許せない、と

思い込んでいるケースが多いです。

自分が悪いと思い込んでいるケースは、その思いこみをゆるめて、自分は悪くなかった、

親のために生きていくのが当然という思いを、自分のために生きていいのだ、という方向に

修正する必要があります。

そして、親が悪い、親のせいで自分は一生不幸だ、と思い込んでいるケースについてですが、

これは、被害者意識を一生もち続ける可能性が高いです。

だって、親は自分を幸せに育ててくれるべきだったのに、そうでなかった、、、のですから。

そこを一生責めることができます。親を許せないことが多いです。

このままの思いで、誰かと結婚すると、今度はパートナーに対して同じような態度をとることも

あります。

私が不幸なのは、夫が私を幸せにしてくれなかったせい。(だって夫は私を幸せにするべき!)

あるいは、自分を癒すべきと思っている存在(ヒーラー、カウンセラーなど)にその思いが

向けられることがあります。

自分を幸せにしてくれそうな相手への期待がすごく高くなってしまうのですね。

期待が高い分、期待通りでないときの怒りも大きいですし、自分はまるっと赤ちゃんの立場に

なっているので、自分の感情の責任は一切とりません。

あくまで、「誰か私をなんとかしてよ!」というスタンスなのですね。そうはいっても

誰もなんとかしてくれないことが多いので、被害者意識まっしぐらになります。

これは一番ストレスがたまりやすい生き方と言えるでしょう。

そして、とても自分を傷つける生き方です。

たとえ毒親に育てられて、子供の頃に生きづらさを身につけてしまったとしても、大人になったら

それを修正する責任は自分にあります。また、自分の状態に100%責任があるのは自分です。

その責任に気付けるかどうかが、被害者意識の方のターニングポイントになるのでしょう。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

台風が来ていますね。

お盆の中、交通機関など、いろいろ影響があって大変な方もいらっしゃると

思います。気をつけて移動されてください。

個人的には、台風は自然がいっきにいろんなことのバランスをとってくれている気がして

すっきりするので大好きです。

バランスと言えば、何回もとりあげている被害者意識というものがあります。

「悪いのは全部、環境や他人のせい。自分は悪くない。」

他人への怒り、恨みが発生しやすく、他人への攻撃にもつながります。

これは、いろんなところでよく取り上げているので、ご存知の方も多いと思います。

でも、あまり語られませんが、加害者意識、というものもあります。

被害意識の反対です。一見、自分が物事の責任をとるという姿勢はよさそうにも

見えますが、ポイントは、「過度に」自分が責任を感じているところです。

「悪いのはみんな自分のせい。すべて自分の責任。私が〜していれば、、」

自分への怒り、悲しみにつながり、自分を過度に責める傾向があります。

これは、どちらも、バランスを欠いています。

被害者意識の人は、自分の間違いや問題点をみようとしませんし、自分優先で

他人を大切にすることはできません。

加害者意識の人は、他人の間違いや問題点まで、自分の責任にしてしまい、

罪悪感があるので、自分を大切にすることができません。他人優先になります。

そして、どちらもとても感情的に、自分、または相手を責め続けてしまうので、

客観的に状況や、本当はどちらに責任があるのかを見極めることができません。

要は、視点がすごく偏っていて、バランスが悪いのですが、そこには気がつかないのです。

どちらが悪いでもなく、どうしようもないこと、という視点があるのですが、

それも見えません。

ここからここまでは、自分の責任、ここからは、あなたの責任、

これは、どちらが悪いのでもなく、どうしようもないこと、など見極め、

感情的にならず、冷静に各々が改善できるところは改善する、ということが出来れば

よいのですが。

ちなみに、最悪の組み合わせは、過度な被害者意識と、過度な加害者意識の人が

一緒にいることだと思います。

あなたがすべて悪い!→そう、自分が全部悪いんです、、となり、

バランスが崩れたままの苦しい状態で、ぴったりはまってしまうのです。

自分たちの状態に疑いをもてないので、ずっと苦しい状態が続くことでしょう。

何事も、バランスは大事です。

よいお盆をお過ごしくださいませ。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

そろそろお盆だったり、夏祭りの季節ですね。

女性は浴衣を来て出かけるかもしれません。

ちょっとここでフィクションとして書きますね。

ある女性が彼氏とデートに出かけて歩いていたら、彼氏が他の浴衣の女性をみて

振り返ったとします。

ここで、もうそれだけで、彼女がすごく苦しみ出す場合があるんです。

彼氏が他の女性を見た→私よりもあの人の方が魅力的なのかも→

彼氏は私といても幸せじゃないんだ→ほら私はやっぱり愛されない、私には価値がない、、、

とたんに胸がナイフで刺されたように痛くなり、、

そして不機嫌になって彼氏を責めたりすると、ケンカになり、、、

でもこの女性の苦しみって、自作自演だということがわかりますか?

彼氏は何も言っていないんです。「君よりあの子の方がいいな。君には価値がないよ。」

なんてことは、一言も言っていないんです。

では、何が彼女の苦しみを作っているのか、それは、もともとあった【自信のなさ】です。

【自分は価値がない】という思いです。

もともとそういう思いがあると、彼氏がちらっと他の女性を見ただけで、

彼女の中に反応がおこります。自分に都合の悪い、様々な意味づけ、解釈が繰り広げられます。

そして、彼を勝手に加害者にして、自分を被害者にして、苦しむ。

自分の胸をナイフで刺しているのは、彼ではなくて、彼女自身なのです。

もし、彼女に自信があったら、どうでしょう。自分は価値があると思っていたら、

どうでしょう。

彼が誰を2度見しようが、あまり気にならないでしょう。

自分が苦しくなるような反応は起こりません。

もしかして、「あの女性の浴衣の柄いいな」なんて思うかもしれませんが。

自分を下げるような感情は発生しないでしょう。

ですから、ケンカにもなりませんし、デートを楽しめたことでしょう。

私たちは、日常の中でこのような自作自演を、無自覚にたくさんやっています。

なんだか相手にハラが立つとき、相手を加害者にして勝手に傷付いているとき、

自分を苦しめているのは、相手ではなくて、自分の中の意味漬け、解釈です。

【自信がない】【自分には価値がない】というベースの思いにのっとって

ほらやっぱり! というような解釈を瞬時につっくけます。

そして、その解釈を信じきっているので、まったく気付きませんが、自作自演なのです。

【彼女劇場】の中では、彼がちょっと他の女性を見ただけで、

彼女は彼氏に裏切られた可哀想な女性になっているというわけです。

ここで、自分が彼に捨てられて生きていけなくなるところまで、一気に想像できる場合も

あります。それも、彼女のイメージでしかないのですのが、彼女の中では

すごいリアリティがあります。

彼がちらっと見た、知らない女性が自分を不幸にした、とさえ思い、

恨むことすらあるかもしれません。

彼女は、脳内で起こっている【私ってなんて可哀想な女】になりきってしまっていて、

先週、彼氏がごちそうしてくれたディナーも、やってくれたことも、

すべて消し飛んでいるのです。

これは、とても冷静に自分を見るとわかるのですが、

彼女の心の中で起こっただけの自作自演です。

☆☆☆

皆様の夏のデートが、楽しいものでありますように。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

皆様、誰しも憧れの人、好きな人はいらっしゃると思います。

あの人の○○なところがいいな、とか

あの人には○○があって、自分にはない(がっかり)、と感じることもあると思います。

私も少し前、とても惹かれる人がいました。

自分にとって、とてもとても必要な人、と感じていました。

相手の持っている資質に惹かれていたのですが、

私にはない(と思っていた)ものを、持っている人だなあ、と思っていたのです。

実際にはあまり関わることは出来ない人だったので、私は勝手に

その人になったつもりで、その資質があるつもりで動いてみたりしていました。

その人のよいところを見習う感じです。

そんなことをしながら、かなりたった頃、

自分の中にその資質(私にはないと思っていた)が育っていることに気付いたと同時に、

その人が、私にとって普通の人、になっていることに気付きました。

それまでは、すごく見上げていたということです。

その人が私にとって普通の人に見えていることに気付いたのと同時に、

その人がそこまで必要でなくなっていることに気付きました。

もちろん今も好きですし、感謝しているのですが、

相手が私にとって、普通の人(特別でなく)になった感じなのです。

これは、面白いなあ〜 と感じた体験でした。

誰かに惹かれるとき、やはりそこには理由があるのだな、ということを

実感できました。

もし、私が、相手の中にあった資質を自分にはない、と思ったままだったら

相手のすごく近くにいくとか、関わることに執着してしまったと思います。

でも、見よう見まねで? その欲しい資質を自分の中に育てようとしたお陰で、

相手の方は必ずしも必要でなくなったのです。

自分にはない、できない、と思う資質でも、

いいなあ〜 と思うということは、実は自分の中に小さな芽があるのだと思います。

この世には素敵な人がたくさんいます。

いろんな人を見習わせていただきたいな、と感じる今日この頃です。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

それにしても、今年の夏は暑いですね、、!

そして、そろそろ8月6日、、、

テレビでもその手の番組を目にすることが多くなります。

私も『この世界の片隅で』や、原爆関連の番組を見ていました。

本当に、戦争は何もよいことはないです。

原爆に至っては、もう言葉がありません。

今、この時代、平和に暮らせることの有り難さを感じます。

普通に買い物が出来たり、今の時代ではごく当たり前だと思っていることが

当たり前でない時代があったということ、

空襲に怯えたり、戦死したりする心配なく、暮らすことが出来て

普通に命があるということの有り難さをしみじみと感じます。

でも、この平和な時代に生きているのに

不幸せな気持ちで生きている人もたくさんいます。

そういう人は、心の中で【戦争】が行なわれているのですね。

誰かを責めたり、許せなかったり、何かを得ようと強欲になったり、

相手の足を引っ張ったり、過剰に心配して不安になったり、、、

でも、それは相手がいるようで、実は自分の心の問題です。

自分の心の問題から、相手に危害を加える人もいます。

それは戦争と同じことです。

苦しみを終らせるのは、ひとりひとりの心です。

あなたの心の中が、平和で幸せでありますように。

心から願っています。