こんにちは。

いつもありがとうございます。

日々、いろんな悩みに触れているわけですが、

人の悩み事をとことんつきつめると、究極は二つの恐れになるのだそうです。

それは、

肉体の死。

自己価値の死。

肉体の死はわかりますよね?

では、自己価値の死って??

、、、、

私は価値がない と思うことですが、

これって、誰がそう思っているのでしょう?

仮にですが、

誰かにさんざん否定された、とします。そして嫌な気分になったとします。

でも、だから「自分は価値がない」わけではないのって、わかりますか?

そもそも、肯定するのも、否定するのも、他人の自由、勝手です。

もし、自分が自分のことを、「私は価値がある」としっかり思っていれば、

気にもならないのです。

自分が嫌な気分になるのは、どこかで「自分は価値がない」という考えに同意してしまっているからです。

また、他人に否定される=そんな私は価値がない という考えがある人は、苦しくなるでしょう。

でも、ポイントは、「自分が自分のことをどう思っているのか」ということです。

これってすごい朗報だと思いませんか?

自分の価値 が死ぬかどうかは、自分次第ということです。

自分の価値 を死なせたくなければ、自分が勝手に「私には価値がある」と思ってしまえばいいことです。

、、、、、

○○が出来なければ価値がない、とか

条件を付けているのも、自分自身です。

だったら、条件をつけないでみたらどうでしょう。

あとは、

肉体の死 ですが、

実際、死が苦しいのではなく、

死に苦しい「意味」をつけているから、苦しみがうまれます。

意味をつけているのは、やはり自分です。

もちろん、生理的に苦しい状態、というものはあるでしょう。

でも、それ以外の苦しみは、自分次第でかなり減らすことが出来るものです。

前の記事の補足です。

癒されないインナーチャイルドの願い というのは、

実は私たちは全員といっていいほどもっています。

これがあるために、さまざまな人間関係の問題がおきることがあります。

たとえば、小さいときに親にネグレクトされた、、その怒りがある場合、

大人になっても、親代わりになりそうな人に、「私を愛しなさいよ!」(私は愛される権利があるのよ)

みたいな態度で要求することがあります。

(ネグレクトされて、超自立型になる場合もあるので、その場合はまた別です)

無自覚に、インナーチャイルドの願いを、相手を使ってかなえようとするわけです。

でも、相手はその役をやる義務はありませんので、面食らってしまいます。

また、小さいときに、父親が死んでしまってさみしかったような場合、

大人になって会ったパートナーの男性に、常に親がわりのような態度を求めることがあります。

パートナーの男性が、小さい子をかわいがるように女性を愛したいタイプならいいですが、

対等な男女の関係を求めている場合、相手の期待に応えることに疲れてきます。

女性の方は、「なんで私の思う通りにしてくれないの!」という子供の態度だったりします。

何が言いたいかというと、

インナーチャイルドの望みが癒されていないまま、大人になると、

無自覚にインナーチャイルドの望みをかなえる手段として、相手を使ってしまいがちだということです。

大人同士として相手に接するのではなくて、

子供が大人に、「私を満たしてちょうだい」というような態度になってしまうことがあるのです。

幼いころのインナーチャイルドの願いを、現在大人になった人が、また違う大人に補償してもらおうとするのは

完全に空振りに終わりますし、それで人間関係が壊れることも多々あります。

なぜなら、相手はそんな役を担うつもりも、担う義務もなく、そもそも状況も違うので、

インナーチャイルドが願うことぴったりを与えてくれるわけではないからです。

もちろん、「ごくたまに」合うような相手や、音楽や映画、状況、

そんな中で癒されていくこともあります。それは幸運なことです。

ただ、癒しを相手に「強要」するようになったら、それは暴力に近いものがあります。

大人の態度としては、

自分の癒されていない部分には自分で責任を持ち、

専門のセラピストと共に、ちゃんと幼いころの当時の場面までもどって向かいあい、

インナーチャイルドの声や感情をきいて寄り添い、満足するように対応することが一番でしょう。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

さて、皆様は願い事ってありますか?

当たり前でしょう? という声が聞こえてきそうですが、

その願い って、なんのためのものなのか?というのが今日のテーマです。

願いを追求する、その理由など普通考えることはないかもしれませんが、

いろんな願いをみてきていて、時々ですが、

あれ? と思うことがあるのに気づきました。

たとえば、

一般的に、勝つのはいいこと、みたいに普通思われていますが、

病的に勝つことにこだわっている場合、本当は他に目的があることがあります。

それは、、、

本当はすごく劣等感があるので、勝つことで、その劣等感を感じないようにしたい、

勝つのは実は、劣等感の埋め合わせ、補償であるという場合。

勝っても勝っても、満たされることはありません。

本当の願いは、自分が価値ある存在である、と感じたいということだからです。

もしかして、小さいときに、兄弟と比較されて育ち、勝ったときだけ親にほめられたのかもしれません。

勝つこと=愛される=自分は価値がある

負けること=愛されない=自分は価値がない 

ということになっているのかもしれません。

同じようなパターンで、

すごく優秀で、常にトップを目指し、、いえ、優秀なのはいいんです。

でも、常に優秀でも、何か満たされない、、、という場合。

本当に欲しいのは、よい点を取ることで、親にほめてほしい、愛されたい、ということであった場合。

つまり、自分は愛されるためには優秀でなければならない、と思っていて

ありのままでは愛されない、という欠乏感が努力の根底にあった場合です。

この場合、本当に欲しいのは、以外なことに(ありのままで)愛されること です。

どちらの場合も、もちろん勝ったり、よい点をとるのが面白くてたまらない、そのことをすること自体が喜び、

そういう場合は、本当の願いかもしれません。

でも、いくら勝っても、よい点をとっても、何か空しいような気がしたり、

優秀でなくなったときの自分を極度に恐れたり、優秀であることに過剰に執着する場合、

それは本当の願い(それをすること自体に喜びを感じる)ではなくて

補償の願い(欠乏感を埋め合わせるため、またはほかに欲しいものがあり、それを得る手段としての願い)

なのかもしれません。

もうちょっと言うと、補償の願いは、癒されないインナーチャイルドの願いとも言えます。

ですから本当の願いの成就は、インナーチャイルドを癒してあげること、だったりします。

インナーチャイルドはずっと、愛してほしかった、認めてほしかった

それだけなのかもしれません。でもひそかに、私たちの人生を支配するものになっていたりします。

そこで本当の意味で、インナーチャイルドの欠乏感が癒されたとき、

あなたは本当に余裕や喜びをもって、その願いを追求できるのでは、、、

そう思います。

、、、、、、、、、、、、、、、、

あなたの、本当の願いは、何ですか?

こんにちは。

いつもありがとうございます。

ところで、皆様の最強の味方 って誰でしょうか?

お母さん? 恋人? 親友? 

あるいは、神仏? マリア様?

もちろん、心のよりどころは人それぞれだと思います。

、、、、

でも、最強の味方は、なんといっても自分自身です。

よく思うのですが、

人にとって一番つらいのは、自分のことを否定していることです。

否定する、というのは、

自分を許していない、自分が嫌い、認めていない、恥じている、自分は価値がないと感じる、自分が悪いと思う、など

要は、いいと思っていないことすべて、が含まれます。

たとえば、他人に否定されたと感じた、としても

自分が自分を認めていれば、それほど傷つくことはないのです。

過去、自分はそのときのできる限りのことをしてきた。

過去、自分はそのときはそうするしかなかった。

自分が行ったこと、行わなかったこと、

その事実をしっかり受け止めている。

ゆるしている。

それが出来ていれば、他人からたとえ非難されたと感じたときも、

自分を責めすぎることはありません。

相手の言動に過剰反応してしまう人は、自分を認めていない人です。

自分を認めていないから、他人からの風あたりに耐えることが出来ません。

それは、

相手から責められたと感じた→自分はだめな存在と感じる と瞬間的に直結してしまうからです。

人は、自分をダメと感じたくないので、そう感じさせられることをなんとかして避けたいところがあります。

ですから、逆切れなどが起こります。

自分を認めていると、自分に基本的な余裕がうまれます。

自分が自分を(不十分なところも含めて)認めているのは、自分をまるごと受け入れていることです。

相手が責めてきても、冷静でいられます。自分の芯が揺らがないのです。

これには、自分の弱いところ、ダメなところを自分で「受け入れる」という作業が必要です。

弱くても、ダメであっても、そのまま受け入れる、ということです。

そういう自分も自分の一部であり、それでいいと思うことです。

自分のいいところだけ褒めたたえるのは、誰でもできます。

ただそれでは、弱いところを突かれたとき、平静ではいられなくなるでしょう。

でも、そもそも、他人が自分をどう思うのかは、他人の問題であって、放っておいてもいいことです。

自分を本当に全部受けいれたとき、あなたにはどんな守護者も必要ありません。

自分を受け入れていないとき、自分の外に、受け入れてくれる存在、許し愛してくれる存在が必要になります。

ただ、その存在は、いつも都合よく、あなたを全部肯定し、守り許し愛してくれるとは限りません。

でも、自分の最強の味方になれるのは、本当はあなた自身なのです。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

最近のニュースはコロナのことばかりですね。

皆様いかがお過ごしでしょうか。

最近のマスコミは、あきらかに恐れを煽っています。ネガティブなキャンペーンですので、

ちゃんと看破してください。

主婦の方は、免疫を高めるための食事などを工夫するなど、頑張っていられると思います。

それはいいことだと思いますが、もうひとつ、私からの提案です。

恐れ、イライラ、不安、怒り、悲しみ、、などのマイナス感情は、波動を低くして

結果的に免疫を下げてしまいます。

不安のあまり、情報に踊らされて、さらに不安になることがないようにしてください。

また、恐れにとりつかれている人は、簡単に闇につかまってしまいます。

ですから、ポジティブでいましょう。

暮らしを工夫して楽しんだり、たくさん笑うのもいいです。

でも、実際にマイナスなことばかりで、ポジティブになんてなれないよ! という方は

この状態から何を学べるのか、、という視点で状況を見てみることです。

何かを学べるなら、その状況はもうマイナスではないのです。

何かが起こり困って、あらためて気づくこともたくさんあります。

今までとは何か違うことを考え、行動しなければならない人もいるでしょう。

人によって、この騒動はいろんな意味を持つでしょう。

ただ、アドバイスがあるとしたら

「恐れで反応しないこと」です。

よーく、見ましょう。

いったん恐れるのは仕方ないとしても、

いつまでも恐れにとりつかれてパニックになったりせずに、まずは冷静に。

愛や思いやりや希望を、こんなときこそ忘れないでください。

自分は大丈夫なのだ、という信頼をしましょう。

最後に、占いらしく、おまじないとして(笑

マゼンタの色のパワーを使うのもいいです。

愛を思い出すのが難しいときなど、

マゼンタの色の光のシャワーで、自分や相手、問題を包むイメージをしてみてください。

マゼンタは天からの愛の色です。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

さて、今日は、苦しみのしくみをみる の続きです。

私たちは、事実をありのままに見ているのではなく、常に自分のフィルターを通してみて、意味付けをしています。

たとえは、普段から「私はだめな人」と思っている人と、「私はできる人」と思っている人では

見えているものが違うのです。これを投影といいます。

そして、自分の中に見たくない思いがあるとき、私たちは無自覚に感じないふりをします。これを抑圧といいます。

例*自分はダメだ、と思っている人は、それを抑圧し、自分にはその思いはないことにし、

そのかわりに、身のまわりの人に投影します。 

さらに、自分をダメと感じさせる人を攻撃したり、ダメな人に嫌悪感をもったりします。

場合によっては、自分をダメと感じさせる人より上にいこうとして、ダメでないことを証明しようと頑張ったり。

投影によって、誰かを悪者にして攻撃し、自分は悪くないと防御してしまいまいます。

これは、私たちがよくやってしまうことなのです。いいとか悪いではないのですが、

ただ、これをやっていくと、いつまでも苦しいということになります。

自分を守ろうとするほど、相手を攻撃し続ける、、でも攻撃してもしても、

自分のことを内心ダメと思っていることは、消えていないからです。

どこかで見ないふりをしているわけです。

本当にラクになるには、自分のことを「私はだめな人」と思っていることに気づき、

それを受容して、感情を解放していくことです。

ただ、自分を見つめるということも、また抵抗が生じます。

なぜなら、「自分はだめな人」と思っている、そう認めたくないからです。

そう感じることに恐れがあるからこそ、

感じたくないので抑圧して、相手に投影して、相手を攻撃して、自分を防御しているのですね。

もし認めてしまったら、、、、?

生きていけないとか、やっていけないとか、みじめだとか、、

なにかとてもまずいことにあると思っているのかもしれません。ですから抵抗しますが、

実は大丈夫です。

「自分はだめな人」というのも事実ではなく、それは思い込みでしかないのです。

過去にそう思ってしまった、ただの勘違いなのです。

ですから、冷静に、ああ、自分は自分のことをこんなふうに思っていたんだな、と

まずはきちんと自分に向かいあうこと、

それが出来れば、本当にラクになる方向に、一歩近づいていけるでしょう。

※このしくみは、インテグレイテッド心理学という講座で学ぶことができます。

ご興味がある人は検索なさってみてください。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

仕事柄、いろんな癒しの勉強をしてきましたが、

どんなにお金をかけても、何年勉強しても、変わらない人もいることにきづきます。

共通していることもあるようです。

自分の問題を自分以外のもの(他人や運勢)のせいにしている人。

人に依存している人。

被害者意識の人。

要は、自分の人生を自分の責任としてとらえ向き合い、自分の足で立つ、という姿勢のない人は

いつまでも苦しい状態のまま、のようです。

たぶん、意識していないかもしれませんが、誰かがこの苦しいのをどうにかしてくれる、、

そんな期待が大きいほど、自分で何もしなくなってしまいます。

なかなか厳しいですが、

自分のことを思い出しても、何十年か前、自分を被害者ととらえている間は、確かに全く進歩がなかったなあ、

と思い返されます。

しかも、いつもストレスフルで苦しかったです(苦笑

自分以外のなにかを当てにして生きるのは、やめませんか。

人には、運勢も環境も、他人からの影響も、もちろんあると思いますが、

そこを嘆いたり、そのせいにして開き直っても、何も得はありません。

その中で、自分がどうするのか、ということにだけフォーカスして生きればいいのです。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

さて、今日は人がどうして苦しむのか、ということを書いてみたいと思います。

大抵の場合、自分が傷ついたと思うとき、

その出来事あるいは、相手が自分を傷つけたと思ってしまいがちです。

でも、実はそうではないのです。

私たちは、何か出来事が起こった時、意識しないほど瞬時に、「意味付け」「解釈」をしています。

すると、「感情」がうまれます。

でも、同じ出来事を経験しているはずなのに、人によって受け取り方や感情が違う、

と気づいたことはありませんか?

Aさんにとっては、ある出来事は許されざることで、激怒している。

でも、Bさんは気にならないみたい。なぜ?

それは、その出来事にくっつけている、意味付けや解釈が人によって違うからです。

当然、発生する感情も違ってきます。

このしくみがわかると、

自分がどんな意味付け、解釈をしているのか、客観的にみえるようになり、

かなりの苦しみから解放されます。

出来事→感情 ではないのです。

出来事→意味付け、解釈→感情 です。意味付けは、あなた独自のものです。

では、意味付け、解釈がなかったら?

当然、感情も発生せず、その出来事はあまり気にならないでしょう。

つまり、感情を発生させているのは、自分なのです。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

あまりニュースに取り上げられませんが、何か月もオーストラリアでの森林火災が大変なことになっていますね、、、

心を痛めている方もたくさんいると思います。

募金のほかに何かできないものか、、と考えている方もいると思います。

せめて祈りを、、と思う方もいると思いますが、

山川亜希子さんのブログで、祈り方についての大きなヒントをいただきました。

https://ameblo.jp/yamakawaakiko/entry-12566335686.html

これは、このような場合だけでなく、実は自分の願い事を祈る場合でも同じです。

作り出したいことをイメージして、実感して感じる、、、。感謝する。

では、逆のこと、(例、恐れていることをずっと感じる など )をし続けるとどうなるのかは

おのずと想像できると思います。

私たちの心は映写機のようなものです。

心にあることが、自分のまわりに映し出されていきます。

いまここでできること、、

あると思います。

あけましておめでとうございます!

2020年、昨年よりも、さらによいエネルギーが天から降り注いでいるような感じがします。

この一年、皆様にとって素晴らしい年になりますように☆

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

新年の動画

懐かしいマイケルから  ~ Heal The World ~

https://www.youtube.com/watch?v=sROlH_bOsUU