「わかる」ということー電話相談の鑑定について

心は絶えず、朝から晩まで「思考」を働かせているのですが、思考は基本となる感情作用の傾向に合わせて記憶をたどり、時に感情を検証しながら、イメージを修正したりして認識を成立させ判断を決定しているものです。

こうした意識作用は、記憶をたどりながら感情に色づけられた「心象」を浮かび上がらせ明瞭に意義づけしたり、それぞれの関係性を確認し、見極め、自分とつなぎ、意味を再構築して、今の自分にとっての世界像を構成します。そのようにして生まれる感情を味わいつつ、未来に向けて何かしらの働きかけをしたり切り離す決断を下します。

ここで一旦、冷静に整理するべきことがあります。
その対象となっているものは「心理表象」である、ということです。

極端な具体例を挙げます。

太陽が東から昇り、西に沈むのは地球が自転しているせいであり、太陽が動いている訳ではないというのが科学的知識であり、客観的事実です。しかし、我々の心が捉えるのは、太陽が昇り、沈んでいくという心が捉える主観的心像であり、これが「心の中でのありかた」になります。

つまり「事実」とは心に映る認識作用を度外視した客観的現象である。
しかし我々は心が捉える主観的現象を「経験」化している世界に生き、心理表象という認識作用の上に「生きている」ということをふまえることがとても大切になります。

心にとっては「有って無きが如し」ということがあるし、「無きものにしているが実は有る」という可能性が当然あるわけです。

僕が相談者に「質問」をする、その意義はここにあります。

この質問作業、易の専門用語では「筮前の審事(ぜいぜんのしんじ)」と呼ぶ問診は、ご相談者と事実関係を確認しながら、こうした心理表象と事実のずれを整理することであり、またそれが鑑定における技術のひとつとして、重要な役割をもちます。

相談者との対話の中で「問い」を投げかける場合、すでに易卦の示された成り行きの予想図やその方の星の見取り図から人格の作用の仕方を目安に、あらかじめその成り行きを想定し予測を立てながら、ずれがないか丁寧にあえて質問しており、その上でどのような言葉をレスポンスしてくれるのか、そこからご相談者の判断や価値観を正確に図り、慎重に感情の奥深い世界に切り込んで、より正しい方向を定めながら確認しつつ誘導していきます。

対面鑑定に限らず電話でも、その作業は同じなのですが

より対面鑑定の方が、ノンバーバルな言語・ボディランゲージを捉えることもでき、じっくりと時間を気にせずに自由な発想をもってやりとりが可能になることは残念ですが否定できません。

チャット鑑定については、端的な言葉になり感情表現を削ぎ落とすことになりやすく、
メール鑑定については、双方向性が半減します。

電話におかれましては、対面鑑定と比較し、そうしたリスクを織り込みつつも、限られた時間の中ではありますが言葉の呼吸を大切にして、貴重な対話の時間を通じご満足いただけるように、より一層気を配り注意を払いながら、一期一会で向き合う所存です。