聖職者と人間性

数年前のことです。

おいらの娘が、いわゆる単純な一般的な病名だけを云うならば『とてもシリアス』と云われてしまうような病気になりました。

いや。

実際の手術自体は、そんなに大層なモンでは無いのですが・・

それでも、おいらの中では、とっても大きなダメージでした。

何よりその病気の原因は

『胎児の頃には存在しているけれど、生まれるまでには消失してしまう筈のモノ』

が、原因で起きるものでしたから。

おいら、けっこう『荒れ』ました。

・・世の母親たち、みんなそうやと思う。

我が子が・・それも、普通なら掛からないであろう病気になった時、

『ちゃんと生んであげられなくてごめん』

って・・

そう云う時って、そう云う心境になっちゃうと思う。

苦しくて悔しくて悲しくて・・

怒りのぶつけ所も、すがる所も見付けられず。

おいらは、思いつく限りの神社仏閣廻って、

場合によっては御祈祷をお願いし、

おいらにとってのできる限りを、

足掻きを、した。

そして、そうやって廻った中に、金沢ではほぼ唯一摩利支天をお祀りしている高野山真言宗の寺・宝泉寺があってん。

(事実なので・・敢えて実名で)

お忙しい方な筈なんやけど・・たまたま居合わせたので、御住職に御祈祷を御願いしようと、お話を聴いて頂きました。

先代の住職に後継ぎがいらっしゃらなかったので、お山から派遣されて後を継いでいる方であること。

ほぼ毎年のように八千枚の護摩供養をしていると云う、真言宗の住職たちの間でも、一目置かれている方であると云うこと。

色々な噂を、色々な住職たちから伺っていたので・・

正直、期待もしていました。

そしておいらは、自分の身に今起こっていること(ほぼ、最初に書いた娘の病気の件)を話しました。

『ちゃんと生んであげられなかった自分が悔しい』

涙、ボロボロ流しながら。

・・

住職は横を向き、吐き捨てるように小声で云いました。

『"自分が自分が"ばっかやなぁ・・』

・・

絶望しました。

それ、苦しんでいる母親に向かって云うセリフ?

それとも、おいらが行者だからの、敢えての辛口?

いや。それ以前に、曲がりなりにも聖職者の言葉?

・・

おいらは頭を下げ、礼を云い、決して少なくはないお金を置いて帰りました。



幸い、余所での御祈祷のお陰なのか、娘の強運なのか、手術は成功し、予後も心配ないようです。

(定期的に検診に行っているけど再発の兆しも見られない)

けれども・・

もう二度と当該寺には行きたいとは思わないし、

おいらのもとを訪れた方が、万一其処の話をしたならば、おいらはこの話をすると思う。


例えキチンとした得度受戒を受けていても、

例え厳しい修行をしていたとしても、

それ以前の問題として、人間として如何なものかと疑念を抱いてしまう人物は存在する・・。

そしておいらはそれを反面教師にしていきたい。


ぜってーあんな風にはなんないぞぉっ!!むかっ(怒り)