不安も引き寄せる...

こんにちは!

明日から福岡に行ってまいります。

昨年も行きました江戸時代からある建物が自宅のお知り合い宅に宿泊です。
自分の家で食べる分は自分で作っていますので、

収穫された新米の精米したてを頂くと、本当に塩だけでOKです。
四隅に水晶を埋めてあるので、これぞ「本物の水晶米」と豪語しています^^

他の水田では不作だったりトラブルがあったりしても
なぜかしら そこだけは毎年、安定した出来と収穫なんだそうです。
さすが水晶パワー!^^

さてさて、「将来が心配...」の相談は山ほどありますが、
お子さんなど、まだ幼いのに

オタクになったりしないでしょうか?いじめられたり、引きこもり、
ニートなどにならないか、将来どんな学校へ進み、どんな職業につくのか、
もしや、天涯孤独になどならないだろうか?

心配で、心配で...

でも大体は健康で友達とも楽しく遊び、問題なく成長している子供に対して
めっちゃ心配するのでありますね、

わたしなどは、えっ?オタクじゃ駄目なの?面白いじゃん!
そんなもん何とでもなる!と、思うほうですので、その繊細さはすばらしい、と思いつつ、
子供が大人になるまでに疲れ果てて倒れるのでは?
...と、つい心配になってしまいます。


見えない面から言いますと、
常に不安で...を繰り返していくと「引き寄せ」が働いてしまいます。

不安な気がする...の「気」はだんだんと集合体になり「気」は「木」となり
やがて自分に向かって倒れてくる...

子供が何かしようとすると「あぶない!危ない!アブナイ!」と口癖のように、
いうお母さんのアブナイは、呪文となり子供の足に絡みつき怪我をさせる、

「ほら!だから言ったでしょ!」と、なりますが、
「危ない」事を引き寄せたのは自分かも?の事には気付きません。

日本語は呪文性が強いですので、自分が自分に対して言う言葉で暗示にかかります。
スポーツ選手などは、質問されても「?」というナナメ向こうの回答を堂々として
時に世間を笑わせたりしますが、コイツは大物になる!と言われます^^

プレッシャーをも跳ね除ける、いえ、理解する必要なし!の世界観があるからでしょう。
つまり細かく分かろうとすればするほど、心配が増えます。

人間、根拠の無い事のほうが多いですしね、
どうして?と言われても本人すら気付かない事がどれだけあるか!

どれだけ心配しても心配した分、良くなることも無く、
むしろ心配を招く事になるかもしれない。
なぜなら、それは自分が日々望んだことだから...(と、なります)

心配も癖ですから、自分の心配が始まったら、晩御飯の買い物リストを作るとか
別なところに気持ちを外す練習をいたしましょう!

心配できる、のんびりとした時間を自分に与えない、
心配性な人ほど、それが必要かもですよ!^^