煩悩・・・

パソコンの部品足りず・・・
復帰は今週末へ延びました😭

ふと見ると光輝先生の講演会はちょうど長野→高岡と
動いており大盛況らしく、い並ぶ祝の花々・・
札幌、25日土曜日14時からで〜す✌️😃


さてさて,今日は煩悩・・・
まあ,人間が生きている限り苦しめられるのが煩悩
仏教では煩悩は環境その他の外側にあるものより
自分の内側にあるものとされています。

無くすのは不可能、
ただし心を練りコントロールは可能。

人は時に強い感情に揺さぶられますが、
それに流されてしまうと、いつの間にか自分が
全て正しのだと感じだしてきます。

周囲の人を悲しませても、振り回しても、
自分だけとなり、その結果が後の自分に
降りかかって来たとしても、なかなか気付きません。

陰陽の世界でも、進む事の大切さと共に
日本人の成功の仕方として、人のあり方として
留まる事の正しさも説かれています。

心に穴の開く事は誰にでもある事ですが、
その穴に闇の魔物を入れぬよう
自分と戦わねばなりません。

魔物はほんの隙間からでも滑り込み、
暗い想い、嫉妬、寂しさ、不安、疲れ、ストレス、恐怖心、
を餌として小蝿のようにどこからでも発生してきます。

憑依だけでなく、魂の芯にあるものもが狙われます。
それと同時に、恵まれた人は神の守りも入ります。

本人がそれに気付くかどうか、
いつもより、神社仏閣に縁がある時は気付け、の
サインの事があります。

神殿の鏡は、我を見よ!のサイン。。
家で鏡を見て、よーく自分の瞳を見てください。
それは他人の瞳ではないですか?
鬼や邪、蛇(欲)のまなこではないですか?

コントロールすべき自分を見つけること、
僧侶の厳しい修行は、煩悩との戦いです。
百八つの煩悩、四苦八苦、

光を見て生きる事は、闇の魂を燃やすより、
よほど難しい事です。

それでも、人の道を踏み外さぬよう、
必死にしがみついて生きるのも、
また、人としての修行なのでしょう。

と、思う次第です。