とても乱暴で無神経かも知れないワシの意見やけど・・

  

   
はい。

上記のタイトルの通りです。

日本人人質問題について、ワシの意見が書きたくて。ワシの意見を知って貰いたくて。
 
 
・・まず、亡くなったお二方の御冥福をお祈りします。

渦中の時も、決して『とっととタヒんでしまえ』とは思っていなかったです。

無事解放される事を望んでいました。

身代金とか、払わずに・・ね^^;
 
 
で、少~し・・昔話(もう半世紀近い前・・だ!)。

ワシの父親は、日大芸術学部写真学科を卒業した後、東宝と云う映画を作る会社に入ってん(だからワシの出生地は六郷w)。

で、たまに・・つか、欧米の某大きな報道機関(アルファベット3文字で略する、誰でも聞いたコトのある所だ^^)の仕事もしとって、映像(特に写真)を送っとってん。

都内の水不足の時には、ウチの母親が洗濯機の前で『水が出なくて困ってる』みたいな写真も撮ってて、それが世界に流れたりもしとった。

ある日、そんな父の許に、カンボジアだかラオスだかの従軍カメラマンに行かないか?・・っつうオファーが来てん。

当時30前後の、血気盛んな野心満載の父は、(注射嫌いの癖に)山程の予防接種やらビザやら当時としては破格の生命保険やら・・色々万端に準備して、後は飛行機に乗るだけ!になった時・・

父の姉の大反対に遭ったんよ。

父の父親は、父が2歳の頃に亡くなってて(not戦死)母親が男のように働いてたから・・父を育て上げ、嫁に行った先から、父の大学の学費(最初は"早稲田に受かった・・"か何か云うて、芸術学部・・は隠してたらしいw)も出してくれた姉には、頭が上がらんかって。

しかも、この姉(もう故人です)は・・自ら九星気学も操り、霊感もあったらしい・・^^;;

取り敢えず渡航を保留にし、代わりに行った同じ年代のカメラマンの方は、現地に着いて程なく行方不明になったそうな。

・・ワシが高校入ってから、その方の遺骨が日本に還って来たと聞かされた。

もしもあの時父が従軍カメラマンとして行っていたなら、ワシは確実に"父無し子"やったんよね・・。

(しかも小金持ち?^^;;)

だから・・余計に後藤さんに対しては、ある種の想い入れもあって・・さ。

・・残念やなぁ・・って。
 
 
だから、普通に・・あげな凶行を平然と行使し、まだ更に日本を脅かしているイスラム国に対しては、怒りと憎しみしか無いですわ。

で、不思議なんは・・どうしてイスラム国とイスラム教に対するヘイトが起こらないのか?っつうコトよ。

乱暴な云い方するならば、オウム以上のカルト殺人集団やん?

どうして日本に居るイスラムの格好をしとる人達が普通に生活出来とるん?

嫌韓嫌中より更に炎上しとってもおかしくはないのに・・そこまでのニュースって、聞かないやん?

(ワシが目にしてないだけかも知れんけど)

何故??
 
 
そも宗教は、侵略の為の大義名分であり、宗教の絡まない争いの方が少ないであろうけどさ。
 
あ、あとワシ的には『イッちゃってるスピリチュアル崩れ』な後藤母は激しくヘイトの対象です^^
 
 
5日夜から金沢を発ちます^^

11日には帰ってます^^;

23日にはレムリア創業当時からの舎弟のY本が蝦夷から出て来るので呑み会♪

3月は江戸に遠征予定です☆

・・と云うコトで。
 
 
 
書き捨て御免!

(`・ω・´)ゞ