相談事を長く受けていますと、「トラウマ」に良くぶち当たります。
もちろん、いろいろな種類がありますが、
私が思いますに、自分が分かっているトラウマより、本人の気付かない無意識に
ある「トラウマ」のほうが、生きて行くには厳しいかもしれないですね、
たとえば、親との関係などで、親の事がトラウマで...と言っているのは実はそれほどではなく、
仕事や人間関係のトラブルその他の中に垣間見える
インナーチャイルドや無意識のトラウマの影の方が根深いものがあります。
先日も、自分の娘の成長を見ていて(自由奔放でワガママな^^)自分の心の忘れ去られたトラウマに、
すべての原因があったと気付いた、というセッションを致しましたが、
また、それとは別の方で、若い頃の失敗が原因でトラウマになり、恐らくすでに30年ほど
経っていると思われるのですが、今でも誰かが自分を見て笑っている、噂しているという
視線恐怖症っぽい感じになっている方がおりました。
それからも何回かセッションをしたのですが、トラウマで転職を繰り返し、ようやく運よく働ける
唯一の場所を見つけたというのに(人間関係良好)
嫌いな人が一人いると腹を立て、職場の同僚にも「いろんな人がいるのだから、嫌なら見なきゃ良い、
言っても始まらない!」と、皆に笑いながら言われており、
騒いでいるのは自分だけと、分かってはいるが、
「皆が正しく平等に働かないのは、絶対に嫌なんです!」と、改善を上司に訴え...
どうもですね、「人」への執着がものすごく強いのであります。
しかし、ご主人が病療養で家にいて、アレコレ問題があるということでしたので、こうしたら?
少し面倒だけれど一緒にこうしてあげましょうよ!という事には「えええ...うぅん(すごく嫌そう)」
あら、心配じゃないのかしら?^^;
で、気が付いたのは自分が一杯で、ゆとりなく「感謝」が無い事、それは、言葉ではなく
「ありがたい」という心があるかどうか、です。
トラウマって「自分の影」みたいなもので、あるけれど実体のないもの、
その実体のないものへの恐怖に怯えてしまう事ですが、
執着が強く、もういらない物だと思うのですが、捨てられません。
心の断捨離がなかなか出来ないのでありますね、
でも、それもまた人の心です。
人間関係に悩む時や、その時々に少々嫌な思いをしたり、あるいは自分がどう
思われているかが心配な時なども、
出会ったのも縁でありますから、感謝して、自分の気持ちや心がどうであろうと、その人が幸せである
よう祈るようにすると(難しいですが繰り返す)心は穏やかになり、何より自分が救われます。
「他者と自分」に固まってしまうと 自分の中に滞りが出来て運気を
深く下げてしまう事、間違いなく...
トラウマも自分を育てる(気付く)種(タネ)だったりもします。
守られながらも、自分自身もたくさんの蔭(辛苦トラウマ)を見てきた、
だからこそ、心から感謝する事が出来るようになりました。「お蔭様で...」
その「蔭」の部分を知ることも、生きていく上で大切な所なのではないでしょうか...
この世に生まれてくる意味は、
心身を持って経験して「気付く」事なのだろうと思います。
コメント