身体の意識・・・

自分は一つでありますが、
もし、自分の「足」が「腕」になりたい、と憧れ望んだらどうしましょう。

あるいは「腕」が、自分はいつか「頭」にならなければ認めてもらえない!と、
嘆いていたらどうでしょうか...

「そんな事は考えずに、足は足の仕事、腕には腕と手の仕事と役割を果たしておくれ、
私は、どちらも変わらず大事で、そのどちらも失うわけにはいかない」と、言いますよね、

でも腕が「私は不器用で何をやっても人より遅い」「手が遅い」と言われることに
もう辟易としているんです。 その点、頭であれば、考えて指令しているだけ、

実際に動くわけでは無いから楽ちんなうえ、不器用な自分を責め、文句ばかり、
いいご身分じゃありませんか!だから頭になりたいんです!」 と、訴えます。

足は足で、腕や手の音楽や絵画、複雑な細かい仕事をこなしていく美しさに憧れ、
「手の方が足より大事にされている気がする」と、言います。

さあ、何と言って説得しましょうか...

「自分のやるべき仕事を真っ直ぐにやってくれているからこそ、一つの身体、
自分(手や足)の存在と仕事に誇りをもってほしい、

たとえ役割は違っていても、必要のない仕事などは一つもない、
手足が協力して初めて歩く事も走ることも、自転車に乗ることだってできる!
不器用さなんて、人より多く繰り返し練習すれば必ず出来るようになるし
本気になれば、頭だって、足だって、なんだって協力してくれる、

腕と足を比べて意味はあるのかな? そんなに頭は楽で良いものなのだろうか、
自分に与えられた生き方や仕事を精一杯することが筋道じゃないかしら...」


足は腕や手になれないし、腕が頭にはなれないけれど、他を羨むことがあっても、
同じになろうとする必要は無し、自分は自分 個性の魅力、それが一番、
それを心から知ることで、自分と周囲との良い関係が築ずかれていきます。