「礼節」。

こんにちは!

ほら「礼節」ってあるじゃないですか!
というのも、最近は死語になっているのかしら?
と、思うことが多いです。

自分を強く主張することで誰かが、家族が傷つくって事は
ある事ではありますが、それでも最低限度の「礼節」があるはず、
と、思っているのは私が古いからでしょうか、

相手の気持ちというより「感情」が分からない、
「感情」って、奥行きがありますのでやや複雑ですが、
自分とは違う感情も気持ちもあるのだと気付くまでには
誰でもやはり多くの経験が必要な事ではあります。が、

だからといって、野放しで良いというわけでもないでしょう。
「学歴と地位」が子供の幸せと信じる親は、いつの間にか
偏りの強さの苦しみを子供に与える事になっているのかもしれません。

相談の中でも「えっ、なんで?」となる事や、
人間関係や、夫婦間の当たり前の常識というか、暗黙のタブーから
大きく振り切れていて、こちらが「???」となる事が
以前よりもずいぶんと多くなりました。

相手が「生身の人間」である事を無視したごとく、
あくまで自分の主張だけで向き合おうとしません。

しかし、よく考えてみると、
大切な事でさえも、メール一本で済んでしまう御時世、
心さえも、合理的が一番で「感情」を置き去りにしているようにも
感じます。

男性は、世代の違う職場やクライアントさん等の間である程度、
「礼節」的な事は育てられる場合もありますが、
そこは犬的男子と猫的女子の違いがあるみたい。

子供の為という名目の「子供」<「自分」の世代傾向から、
妻、母、女の顔がはっきりと別々の「子供」<「自分」の
傾向に移りつつあるのを感じております。

何が言いたいのかと言いますれば、何歳であれ、古い考えであれ、
人としての「礼儀」や「礼節」も、教えていく事が、
親も学びつつの「一生の務め」かもしれません。
人生を守るものでは学歴だけではないです。

自分のやった事がブーメランとなり戻る、
その法則を最近は目の当たりにする事多しです。